MUSICSHELFトップ > 特集・連載 > 村松邦男 インタビュー
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村松邦男
1952年東京生まれ。 1973年シュガーベイブを結成。アルバム「Songs」、シングル「Down Town」を発表。解散後もソロ・アーティストとして、またサウンドプロデューサーとして数多くのアーティスト、ミュージシャンへの楽曲提供やCM音楽、TV音楽の制作など、幅広い活動を続けている。また現在は本業の傍ら、新人のデモテープを聴くサイトにシュガーベイブ時代の事を描いた 『あるバンドの物語り』を執筆中。 |
| ■インタビュー/文:村尾泰郎 ■撮影:本多元 ■撮影場所:EATSandMEETS Cay ■デザイン:SQIP Inc 掲載日:2007.3.23 |
All That You Dream / Little Feat |
Midnight At The Oasis / Maria Muldaur |
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Cajun Moon / J.J.Cale |
Leroy's Latin Lament / War |
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Kodachrome / Paul Simon |
Don't Take It Away From Me / The Love Unlimited Orchestra |
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Jolie / Al Kooper |
Why Can't We Live Together / Timmy Thomas |
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Right Place Wrong Time / Dr. John |
I Saw The Light / Todd Rundgren |
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山下達郎や大貫妙子が在籍した伝説のバンド、シュガーベイブのオリジナル・メンバーであり、大瀧詠一サウンド支えたギタリスト、村松邦男。80年代にはアレンジャー/ソロ・アーティストとしても活躍。EPOや松田聖子、シャネルズなど、数々のアーティストの作品に参加するなど、日本のポップス・シーンを支えたキーパーソンが、その多彩なミュージック・ライフを振り返る。
--最初に影響を受けたアーティストは誰ですか?
意識して聴きだしたのはビートルズですね。初めて「アイ・フィール・ファイン」のイントロを聴いた時、妙な感じがして、胸騒ぎというか。で、シングルを買った頃に、ベンチャーズとかエレキ・ブームが来て、エレキ・ギターを買ったんですよ。
--シュガーベイブ加入された頃は、会社勤めされていたんですよね。迷いはありませんでしたか?
会社は結構気楽に辞めちゃいましたね(笑)。当時、22歳くらいで、勤めてまだ2年くらいでしたから。実家通勤だったから家賃の心配はないし、30くらいまでやってダメだったら、あきらようかと思ってた。シュガーベイブのメンバーって、みんな東京出身だから、ちょっとバイトすれば生きていけたんですよね。
--シュガーベイブ唯一のアルバム『ソングス』(75年)のレコーディングは大変でした?
まずコード譜があって、フレーズがあるときは口で伝えて、憶えたら〈せーの〉でやるんだけど、なかなか合わなくて。今だったら譜面書いてパッと渡せばすむようなことだけど、まだそういう能力もないし、山下(達郎)君にしても、人に音楽的な内容をきっちり伝えるってことは初めてだったし。お互いに試行錯誤しながらやってましたね。
--今となってはシュガーベイブは伝説化していますが、振り返ってみて、どんな感想をお持ちですか?
わけもわからなくて、音楽的な状況も一切関係なくて、ただ、たまたま運命的に出会った人間たちで一つの音楽を継続してやっていくエネルギーが、ものすごくあったんだろうと思いますね。毎日毎日が知らないことばっかりで、毎回毎回勉強で。楽しいという感じではないんだけど、ものすごい充実はしていました。--バンド解散後は、大瀧詠一さんとのナイアガラ周辺のセッションが多くなりますね。
大瀧さんの周りでは僕がヒマそうにしていたし、わりかし真面目にいうことも聞くから、使いやすかったんじゃないかなあ。でも、すごく勉強になった。例えば「多羅尾判内」名義で全面的にアルバムにフィーチャーされた時、「お前、これちょっとコピーしてこい」って、曲のリストを渡されるんだけど、ハンパなコピーじゃダメなんです(笑)。「ここの4小節目のこのフレーズだけ、違うバンドのヴァージョンがあるから、それをくっつける」なんて言われて。すごい大変!
--そんななかで、アレンジャーとしても活躍されるようになって、80年代には今回再発されたソロ・アルバムを3作リリースされます。
1枚目の『GREEN WATER』(83年)ってほんと、「え? 僕がソロ・アルバム出すの?」って感じで、全然歌に自信がなかった。アレンジャーとかギタリストがソロ・アルバム出すと、だいたいろくな評価を受けないじゃない?(笑) だからイヤだったんですよ。でも、なんだかんだで出したんだけど、やっぱり最初っていう気負いがあったんだろうなあ。いろいろ詰め込んで、バイキングみたいな感じだった。「これもありますよ、これもありますよ、お好きなものを食べて下さい」みたいな。
--次の『ROMAN』(84年)になると、もうちょっとフォーカスが絞られてきたような感じもありますよね。
「『ROMAN』が好き」って言ってくれる人は多いですね。ポップスっていう意味では、あれが一番ポップなんだろうな、きっと。ただ照れちゃうんですよ、ああいうのを自分でやるのって(笑)。ソロ・アーティストっていう意識が出てきたのは3枚目の『ANIMALS』(85年)になって、ようやくかな。アレンジャーとして身につけたことをすべて出すんじゃなくて、自分でやるのはこれ、っていうふうに絞っていった方がいいな、と思って作ったのが『ANIMALS』なんです。
--現在は、R・O・M・A.として活動されていますが、これはどういったきっかけでスタートしたんですか?
2005年の12月にシュガーベイブの30周年アルバムを出したんですが、それに引っ掛けて〈村松邦男30周年ライヴ〉をやろうということになって。ちゃんとしたバンド編成でやろうという話が持ち込まれたから、リハーサルを始めてオリジナルをどんどん作ったんです。それが結構面白くて。やっていくうちに最初思ってた方向と全然違って、わりとハードというか、パンクとか、お笑いとか、なんかワケのわかんないものになっていった(笑)。でも今まで仕事でやってきたことを自分のために集中して使えるから、やりがいはありますね。--〈ネット・スプラウト〉というサイトでは、若手アーティストのサポートもされていますね。
いまレコード会社やプロダクションがオーディションをやったりしてるけど、求められているのは優勝者だけじゃないですか。つまり即戦力が必要とされているわけで、応募者のなかには、継続的に聴いてあげることで伸びる人もいるんですよ。僕もそういうオーディションの審査員をやったことがあるけど、審査員が聴くのって予選を通過した10数組くらいだけなんです。一度、応募してきた音を全部聴いたことがあったんですが、そしたら落とされたなかにも結構良いものがあるんですよ。だから〈ネット・スプラウト〉では、メジャー・デビューできる、なんてことは言わないけど、応募してくれた音に対しては、全部聴いてコメントしています。それで、若い人たちと面白いことを一緒にやっていけたらいいなと。
--では最後に、これから音楽の道を目指したいと思ってる若い人たちにメッセージをお願いします。
音楽を趣味でやるんだったら好きにやればいいんですけど、それで食っていこうというのは難しいからやめなさい(笑)。それでもやりたいと思う人は、人の10倍以上の音楽を聴かないとダメ。聴いた以上の音楽は出てこないからね。だから、どんどんCDを買って、配信でもいいけど、とにかくたくさん聴いて下さい。とくに最初は、ひとつのジャンルを突き詰めて聴いた方がいいと思う。まずハートにビビッとくるのがあったら、そのジャンルをね。
--普段どんなシチュエーションで音楽を聴いていますか?
アレンジャーの仕事を始めてから、プライヴェートでは音楽を聴けなくなっちゃったんです。仕事以外の時は一切音楽かけない。「そろそろ仕事モードに入ろう、なんか新しいアイデアはないかな?」と思うといろいろ聴きだすんですよね。
--印象に残っている曲は?
「DOWN TOWN」from『SONGS』シュガーベイブ時代だとやっぱり「DOWN TOWN」なんだろうな。シュガーベイブの後も、EPOのツアーで3年間ぐらいずっと弾いてたんですよ。それにキングトーンズ45周年記念アルバムでも「DOWN TOWN」のアレンジをしたし。ソロのなかでは、トッド・ラングレン「I Saw The Light」のカヴァーかな。一番やってて楽しかったですね。

安部“Ohji”隆雄(B.Vo.)千変万化なアイディアの宝庫をお持ちです。以前は同じ事務所に在籍していて、何度かお仕事を一緒にさせていただいたことはあったので、ローウェル・ジョージなスライドやコーネル・デュプリーなギターリックはもちろん、アレンジやコーラスがすごいというのは知っていましたが、一緒にバンド活動してみたら、意外にもブルース・ロック系ギタリストなのだということが分かってビックリしました。

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日時:2007.4.15(日)
場所:新中野LIVE CAFE BENTEN(弁天) http://www.benten55.com/ 開場17:30/開演18:00 前売¥ 3,500/当日¥ 3,800(+1ドリンク) 出演:村松邦男 with R・O・M・A ゲスト:伊藤銀次、野口明彦 詳細はこちら ![]()
村松邦男
1973年に山下達郎に誘われシュガー・ベイブ結成に参加、75年に唯一のアルバム「ソングス」を残して76年にバンドは解散、以降渡辺勝(元はちみつぱい)、伊藤銀次などのレコーディングに参加、それと前後してナイアガラ(大滝詠一)関連のセッションに参加。(ちなみに村松は大滝詠一以外でナイアガラレーベルの全アルバムに参加した唯一のミュージシャンである)ナイアガラからは78年に村松のギターをフィーチャーした「多羅尾伴内楽團vol.2」を発表、その幅広いギタープレイに注目が集まる。またナイアガラが一旦休止した79年頃から、ギタリスト及びアレンジャーとしての数多くのレコーディングに参加する。特にEPOとは80年代半ばまで全てのライヴに参加しその後はライヴのみならずレコーディングでも重要な位置を占める、また同時期にシャネルズのバンドトレーナーとしての役割も担当し、シャネルズがラッツ&スターに進化するきっかけを作ったと言える。82年にはデザイナー信藤三雄が在籍した伝説のバンド、スクーターズのプロデュースを担当、日本のダンス・クラシックと呼べる「東京ディスコナイト」は村松と信藤三雄との共作である。83年に満を持して初ソロアルバム「GREEN WATER」を発表。以降ソロではアルバム3枚、ミニアルバム2枚、シングル4枚を残す。84年には宮崎駿監督のアニメーション映画『名探偵ホームズ』の音楽を担当、さらに80年代後半からはCM音楽(あまりにも有名な「フジカラー写ルンです」のサウンドロゴや、大ブレイクした「ジョージア」の「明日があるさ」シリーズ等)やプロデュース/アレンジに活動の中心を移行、95年にはTHE KING TONESのアルバムをプロデュースし、あの名曲「DOWN TOWN」(元々この曲は山下が当時KING TONES用の提供曲として書き下ろした)ではアレンジとギターを担当した。近年はネット・スプラウトという新人発掘のサイトにも積極的に参加するなど音楽シーンの底上げを図っている。また2006年には自身によるバンド活動を再開、安部OHJI隆雄や友田真吾等と結成した「R・O・M・A」では精力的にライヴ活動を行う。同年11月にはライヴ会場及び通販のみで購入可能な初音源集の「らいぶかどうだか」を発表、現在本格的な新作の準備に入っており初夏頃までにフルアルバムを発表予定。
ネット・スプラウト http://www.net-sprout.com/ R・O・M・A http://www.romaroma.net/ |
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All That You Dream / Little Feat
Midnight At The Oasis / Maria Muldaur
Cajun Moon / J.J.Cale
Leroy's Latin Lament / War
Kodachrome / Paul Simon
Don't Take It Away From Me /
Jolie / Al Kooper
Why Can't We Live Together /
Right Place Wrong Time / Dr. John
I Saw The Light / Todd Rundgren
友田真吾(Dr.)







