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Feel the Music vol.107

世界じゅうに“居場所”がある幸せをピアノ一台で紡いだ、20代のアーカイヴ - 上原ひろみ

■インタビュー/文:河野アミ ■撮影:本多元 ■コーディング:Astrograph 掲載日:2009.9.2

 もし「ジャズって難しそう」という先入観から、上原ひろみをいまだ体験していない人がいるとしたら、実にもったいない話だ。ジャンルなんて堅苦しい境界は、彼女には無縁。ジャズ、ロック、クラシック、ファンク、テクノ…と様々な音楽を行き来し、融け合わせ、さらに遠くへ跳んでみせる。もちろんそれを可能にしているのはコンポーザー/ピアニストとしての絶対的な才能と実力だが、彼女の自由なイマジネーションやアプローチは、聴き手側の「ジャズって…クラシックって…」という狭い了見さえも自由に解き放つ、魔法の力を秘めている。そんな彼女が「ピアニストとしてのアーカイヴ」として完成させたのが、初のソロ・ピアノ・アルバム『プレイス・トゥ・ビー』だ。ピアノと1対1。ストイックなイメージを抱く人もいるだろうが、そこは上原ひろみ。ニューヨーク、フランス、シチリア、ベルンなど、世界じゅうを飛び回りながら築いてきた“居場所”に流れるサウンド・トラックは、実に多彩でイマジネイティヴ。そしてどの曲にも、音楽やピアノ、これまでに出会った人々への愛と感謝が、たっぷりと詰まっている。ピアノ一台で、この情感と雄弁さ。ホント、体験しなくちゃもったいない。

上原ひろみ--ソロ・ピアノでアルバムを作りたいという気持ちは、かなり以前からあったんですか?

 そうですね。ソロ・ピアノというものに挑戦して、ちゃんとアルバムを作りたいという気持ちは、ピアニストなら誰もが持っていると思いますし、ピアノと1対1で向かい合うのはやっぱり最大のチャレンジなんです。自分がどれだけピアノとわかり合えているのかがわかるので。

--そろそろ作ろうと具体的に思ったのは?

 27歳ごろです。その年代の良さというものがあるなあって思ったんですよね。もちろん年齢を重ねて円熟味を増していくことも大切だけれども、今の若さや未熟さもすべて含めて、“20代の音”っていうものをアーカイヴとして、ソロ・ピアノとして残したいという気持ちが強くなったんです。実際、録ったのも(30歳の)誕生日の1週間前なんですよ。

--まさに“ピアニスト・上原ひろみ”の20代の集大成的なアルバムですね。作り上げてみて、達成感や発見などは、いかがですか?

 ソロでライヴがきちんと1本できるという自信がつきました。(ソロでのワンマン・ライヴは)これを作ると決めてから、制作の過程として何本かやってるんですけど、それまではやっていなかったので。

--トリオやHiromi's Sonicbloomでのステージとは、まったく感触が異なるのでしょうね。

上原ひろみ たとえば、メンバーが3人いれば音色でも視覚でも、それだけのバリエーションがあるんです。それをミニマイズして1人になるということは、すべての責任や、ものすごいプレッシャーが自分にのしかかってきますから、とってもゾクゾクするんですよ。何か“こと”を起こすも起こさないも自分次第。音楽って、瞬間に起こる奇跡をどれだけ自分で取りに行けるかだと思うんですけど、それを、誰もトスを上げてくれない、パスしてくれる人もいないなかで、自分で一本を決めるしかないっていう。ステージというより、リングに上がる気持ちです。試合開始の“カーン!”っていう(ゴングの)音を鳴らしたいくらい(笑)。

--“一本が決まる”というのは、つまり……。

 自分が思い描いていることがピアノから出てきた時、あるいは、その瞬間がつかめた時です。柔道で、効果、技あり、一本!って決めた時に、すごく似てる。バンドでやる時はサッカーなんですね。みんなにいろんな役割があって、パスして、誰かがゴールを決めて。でもソロ・ピアノは柔道なんです(笑)。

--喜びの大きさではなく、種類が違う。

 そう、種類が違いますね、うん。

--アルバムの話に戻りますが、曲のタイトルでもある 'place to be'(=居場所)という言葉が、アルバム自体のタイトルにもなっていますね。

上原ひろみ 自分の20代を振り返ってみると、本当に旅続きだったんですね。そして旅を続けていくなかで、最初は「はじめまして」だったのが「おかえり」に変わり、私のほうも「ただいま」と言う、そんな関係がいろんな街やお客さんとの間にできていって。世界じゅうに居場所をいただき、それによって生活にも潤いをいただいて……「ああ、生かされてるんだな」と思ったんです。20代を振り返った時にそれが一番大きな思いとして浮かび上がってきたので、このアルバムのテーマにしました。

--街や場所にインスパイアされた曲が揃っているのも、そういうわけなんですね。

 自分で勝手にサントラをつけながら街を歩いて、でき上がった曲もありますよ。思い浮かんだら携帯電話に録音したりして(笑)。

--そういったエピソードや、それぞれの街への思い入れなども伺いたいです。たとえば「BQE」は1曲目にふさわしく、ホーム・グラウンドであるニューヨークが舞台ですね。

 BQE(=Brooklyn Queens Expressway)は、ブルックリンやクィーンズに住んでいて、車に乗る人であれば必ず使う道路なんですね。それから空港に行く時にも必ず通るので、私にとっては“出発”の道。これから闘いに向かうぞ!っていう時の道なんです。

--車がめまぐるしく行き交うような曲調に続いて、ふわっと解放されるというか、視界が開けるような展開がありますよね。そこ、好きなんです。

 そこがスカイラインが見える瞬間なんですよ! この曲のラフ音源ができた時に、その瞬間にスカイラインが見えるといいなあと思って、すごく計算して(ハイウェイに)乗るんですけど、なかなかタイミングが合わなくて。何度も巻き戻してようやくピッタリ合った時は「そうそう、この感じ!」と思いました(笑)。

--2曲目の「シュー・ア・ラ・クリーム」は、個人的には意外でした。

 あ、そうなんですか?

--ジャジィで粋で、このシュークリームは私がふだん食べるものよりオトナ味だなあと。

 街のせいかもしれないですね。私はフランスに行くとシュークリームを探して街を賢明に歩きまわるわけですが(笑)、その街並が石造りだったりするんです。なので、そういう環境すべてが曲に凝縮されているんだと思います。まったく何もない部屋にシュークリームをポンと置いて見つめながら作った曲ではないので(笑)。

--ですよね。そして「シシリアン・ブルー」。これはスタンリー・クラークのトリオで録音したアルバムにも入っていましたが、複雑な味わいというか、とても詩的な印象を持ったんです。

 この曲に関してはもう、街を歩いていたらこれが鳴り出して、歩きながらフル・コーラスが書けたんです。どこか暗さがある場所なんですよね。空はいつも快晴で、海も真っ青。でもそのなかに、感情の“ブルー”があるんです。街に何かしらの暗い過去を……一筋縄じゃいかなかった街なんだろうな、ということを感じましたね。

上原ひろみ--そのいっぽうで美しい景色が無条件に見えてきたのが……。

 ポルトガルですか?

--そう、「アイランド・アゾーレス」です。これはポルトガルの西、大西洋上の群島ですね。

 2005年にテルセイラ島で演奏して、そこにファイアル島という隣の島の人が見に来ていて、その縁で2007年にファイアル島でも演奏したんです。あそこはもう本当にきれいな場所。まったくリゾート化されていなくて、太陽も燦々、人も燦々。街も人も明るくて、大人もみんな純粋なんですよ。無邪気で、優しくて。素晴らしいところです。

--「Viva! Vegas」と銘打った3部構成の“ラスベガス組曲”もありますね。ベガスには演奏で?

 遊びで行ったことがあるだけで、ライヴではまだ1度も行っていないんです。(カジノは)あんまりやらずに、いろんな人を観察してました。音になりそうな素材がとても多かったので(笑)。それこそギャンブラーの人とか、得体の知れない美女とか、いっぱいいるんですよ。それをずーっと観察しながらメモしたりして。

--「Daytime in Las Vegas」として、昼間のベガスも曲になっていますよね。

 砂漠の中なので、昼間はすーっごい暑いんですよ。45℃くらいまでいく。しかも、みんな夜遅くまでギャンブルをしているので、昼間は誰もが眠そうで、歩くのもとってもゆっくり。そういう情景はあまり想像していなかったので、強烈な印象だったんですよね。

--いつかベガスで弾いてほしいです。というか、シチリアもフランスもアゾーレス諸島も演奏で訪れたことのある場所で、ベガスだけがライヴ未体験の街ですよね?

 そうなんです。このアルバムは「BQE」でニューヨークから始まり、いろんな場所をまわるわけですけど、(演奏で)まだ行っていない街、未来の場所というのを入れてもいいかなあと思ったんです。そして「居場所さがしは、これからも続くのであった…」みたいな感じで終わろうかなと。

--その“居場所”がダイレクトにテーマになっているのが、本編最後の「プレイス・トゥ・ビー」ですね。「オリヲン座からの招待状」の主題歌として書かれた曲だと思いますが、インタビューの最初のほうで言っていたような、“居場所”にまつわる個人的な思いも投影されているんですか?

上原ひろみ 最初は映画の脚本を読んで、各々が自分のいるべき場所はどこなのかを模索している、というのがテーマだなと思ったので、それをもとに曲を書いたんです。でも、弾き続けているうちに映画の主人公たちが自分に投影されてくるというか、「これは私のことだ」と思うようになって、曲がどんどん育っていったんですね。弾きながら、旅の途中であったこんなことやあんなこと、大変なことだとかを思い出して、でもここにまた来ることができて、みんなにまた会えて、私は本当に幸せだなあ……っていう感謝の気持ちで、いつも満タンになるんです。私にとっては本当に不思議な曲というか、ツアーで育った曲なんですよね。

--ライヴでも感極まった表情で弾いてますもんね。さて、最後になりましたが、ひろみさんがいつも「ジャズをやっているつもりはない」と言うように、このソロ・ピアノ・アルバムもジャンルでは括りきれない、自由で多彩なものになりましたね。

 そうですね。「ピアノという楽器だけで、どれだけカラフルな音が出せるか」という、ピアノの持つ可能性を伝えたいという気持ちもありましたから。

--11月からの日本ツアー、試合開始のゴングを用意して、楽しみにお待ちしてます。

 はい(笑)。