MUSICSHELFトップ > 特集・連載 > 高橋透 インタビュー

-- 30年以上もDJをやり続けていらっしゃるのはすごいことですよね。
辞めようってあんまり思わないんですよ。やっぱり「時代」っていうのもありますね。そういう(ディスコの)時代にいちばん興味を持ったものが音楽だったから。DJやりながら追い求めているうちに<パラダイス・ガラージ>にぶつかっちゃって、そこでさらにインスパイアされて、自分のDJにも活かされたりして。やっぱり<パラダイス・ガラージ>とラリー・レヴァンは大きかった。僕にとっては。一つの完成形みたいなものを見た気がして。
-- やはりニューヨークに行った体験が大きかったんですね。
僕が1980年に初めてニューヨークに行ったときは、<セイント>っていうお店が出来たところだったんだけど、それまで日本のディスコ・カルチャーに物足りなさを感じていたから、すごい刺激になってね。「目から鱗」ってああいうことを言うんだろうね。「これは日本に戻ってみんなに紹介しなきゃ」って思った。それで戻ってきたときにNORIなんかと知り合うんですよ。ニューヨークの話ばっかり吹き込んで(笑)、向こうで録ってきたテープとかいっぱい聴かせたりね。-- <セイント>は相当すごいところだったみたいですね。
造りもすごいし、いわゆるプライベート・クラブで、ゲイ・ディスコだった。たまたま僕が当時働いていた<西レストラン>のスタッフが8割方ゲイだったから、そこの人たちに連れて行かれたんです。いわゆるロックの殿堂として知られる<フィルモア・ウエスト>と<フィルモア・イースト>の、イーストの方だった場所だから、劇場みたいに大きなところで、それを改装して作ってあった。ダンスフロアの天井がプラネタリウムになっていて、日本から初めて行ったときは「ウソー!」みたいな、「すごすぎない!?」って感じでしたよ。
-- 今でもそんな場所ないですもんね。
今あったら、みんなビックリしますよ。その衝撃はホントすごかった。そのとき同じレストランの洗い場で働いていたホセっていう奴がいて、<パラダイス・ガラージ>にも誘われたんだけど、ひどいジャンキーでね(笑)。「こいつとクラブなんか行ったらヤバイかも」と思って行かなかった。そいつがジャンキーじゃなければ行っていたと思うんだけど。そういうヤバイ雰囲気のある時期でしたからね、80年代のニューヨークは。
-- <西レストラン>の人も、誰も<ガラージ>には行っていなかったんですか?
誰も行ってないと思います。黒人が働いていなかったから。それに、オーナーの西さんが、たまたま<セイント>の株主だったんですね。本来は会員制のクラブだったから、会員になるのに面接があるんですよ。でも、僕らは<西レストラン>のスタッフだったから、面接なしでOKだった。
76年からDJ活動を開始し80年にNYへ移住、12WEST、SAINT、ROXY、などゲイカルチャー全盛のハードなNYクラブシーンを体験後、81年に一時帰国し椿ハウス、玉椿、CLUB-Dと80年代を代表する箱のメインDJを務め、85年にNYへ戻り、DJレストランFujiyama
MAMAのMAIN DJとして活動しながら、現在のクラブシーンに最も影響を与えたクラブPARADAISE GARAGEのDJ
(故) LARRY LEVANと交流、彼の神業的なプレイとニューヨークにおけるハウスミュージック創世記を体験。ガラージのクローズにも立ち会い、クラブMARSでレギュラーを務めるなど4年間に渡るDJ活動を経て、89年、芝浦GOLDオープンの為に帰国。ハウスミュージック/ガラージサウンドを国内に浸透させゴールドの黄金時代を築いたゴールドのメインDJ兼サウンドプロデューサー。今年でDJ活動30周年を迎えディスコ/ガラージ/ハウスからレゲエまで様々なダンスミュージックを織り交ぜる独創的プレイでジェネレーションを越えて絶大な支持受けている。現在SMOKER@LOOP、宇川直宏、MOODMANと主催するディープ・ハウスパーティーGODFATER、及び自信がサウンドプロデュースを手掛けたクラブRを中心にプレイ中!!!!!!!!!!!!!!!!!
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