MUSICSHELFトップ > 特集・連載 > 和田唱×西寺郷太 インタビュー
全世界で1億400万枚超というビッグバン・セールス(しょこたん語に大きな意味はないですが)を打ち立てた世紀のアルバム、マイケル・ジャクソン『スリラー』。このたび7曲の追加音源とリマスターされたショート・フィルムDVDを加え、25周年記念盤としてリリースされることになりました……おやおや?あちらでお話が盛り上がっているのは、筋金入りのマイケル・ファン、マイケル・マニア、マイケル・ラヴァーズ……として、知る人ぞ知るふたり、NONA REEVESの西寺郷太さんとTRICERATOPSの和田唱さんじゃないですか。これはきっとマイケルの話に花を咲かせてるに違いありませんねえ。では、ちょっと耳を傾けてみましょうか。
西寺:『スリラー』の25周年記念盤っていうことだけどさあ、それよりもマイケルって今年で50歳なんだよね。マイケルもだし、マドンナもプリンスも〈花の五八(ゴッパチ)〉って1958年生まれでさ。和田:そうだね、8月で50歳だよね。それもちょっと信じらんないけど、オレらがマイケルを初めて知ったときって、マイケルはまだ20代でしょ。今のオレらより年下だったんだよね。
西寺:そんなこと言い始めたら、11歳の時にジャクソン5でデビューしてるじゃん、マイケルって。
和田:すごいよね。ところでさ、郷太クンが最初に聴いたのって『スリラー』?
西寺:うん。ダビングしてもらったカセットを鬼聴きしてた(笑)。学校の先輩……っていっても小6なんだけど(笑)、小4の僕に『スリラー』を聴かせてくれたのが最初で、ほぼリアルタイム。今思えばその先輩って、とにかく理解者ほしかったんだろうね。こいつだったらわかってくれるかも知れないと思って(笑)、マイケルのビデオとかも見せてくれてさあ。
和田:オレは『スリラー』ってリアルタイムじゃないんだよね。出てから2年ぐらい経った頃かな。
西寺:その2年間は大きいよね。じゃあ、和田クンの場合、「ウィ・アー・ザ・ワールド」とか「Captain EO」あたりじゃない?
和田:そう、リアルタイムで最初に触れたマイケルは「Captain EO」だったね、うん。そのあとで「ビリー・ジーン」とかヒットした曲を聴いてハマッていったのね。それから『BAD』が出てさ、親父にマイケルのアルバムが欲しいってネダったら、ある日『スリラー』と『BAD』のミュージック・テープを両方買ってきてくれたの。で、同時進行で聴き始めたわけだけど、『スリラー』のほうをよく聴いてた。『スリラー』のほうが子どもの耳でも親しめたのね。ちょっとね、『BAD』は難しかった。西寺:それわかる。『BAD』はある意味サービスが少ないからね。マイケルが作ってる曲が多いじゃん。ロッド・テンパートンとか職業作家が作ってる曲ってイイ意味で甘いんだけど、マイケルの曲っていわゆる「歌謡っぽさ」ない。
和田:そうだね。だから、『BAD』を好きになるのは、もうちょっと時間が経ってからなんだよね。やっぱ『スリラー』が好きだったな。「ベイビー・ビー・マイン」とか大好きな曲なんだけど、PVとかなかった曲だからさ、純粋に曲としての思い入れが強いわけ。だから、この曲を聴くとね、小学校の頃を思い出すね。マイケルはさ、初めてオレが好きになった現実のヒーローだったんだよね。それまではTVの戦隊ヒーローとか、そういうのは好きだったんだけど、現実のヒーローっていうことではさ、マイケルが最初。マイケルって、まずガイジンだったし、その時点ですでに雲の上の存在だったの。で、整形したとかなんとかいろんな噂が飛び交ってて、とにかくミステリアスな存在として映ったんだよね。そういう意味では、感覚的にいうと現実のヒーローというより架空のヒーローとして見てたのかもしれない。
西寺:ルックスが変わって行ったっていうのは大事なとこなんだよね。和田:そう。もし、『BAD』の時のマイケルが『オフ・ザ・ウォール』の時と同じだったらさ、ここまでなってないと思うんだよね。
西寺:うん、そう思う。『オフ・ザ・ウォール』の頃が人間的には良かったんだけど(笑)、やっぱそれ以降変化していったっていうのが、独自のポジションを築いた要因なんじゃないかな。
和田:そうだね、ホントにミステリアスだったから。なんか、男でもない女でもない中性的な感じもよかったし。でも、学校でマイケルが好きだ好きだ言ってたら、まわりの、アイドルとか好きな子には、和田気持ち悪いって言われてたね(笑)。
西寺:(笑)。
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