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特集:都倉俊一 “ヒットメーカーの肖像” 日本のポピュラー音楽史を代表するヒット・ソング・メーカーが語る過去と今

■インタビュー/文:竹部吉晃 ■制作:Astrograph 掲載日:2008.12.10

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 作曲家都倉俊一の、これまでのキャリアを集大成したCDボックスがリリースになる。都倉俊一といえば、70年代にフィンガー5や山口百恵、ピンク・レディーなど、日本の歌謡史を語る上で欠かせないアイドルたちを育て上げ、多くのヒット曲を提供した作曲家として知られる。特に、作詞家阿久悠とのコンビで作り上げたピンク・レディーでは、70年代後半に、社会現象ともいえる一大ムーブメントを巻き起こした。一時代を築き上げた偉大な作曲家である。しかし、都倉氏は偉大な大家だが守勢に入ったところがうかがえない。80年代以降は海外に活躍の場を求め、ロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドンと渡り、独自の音楽を追求している。今でも、好奇心と創作意欲に旺盛だ。現役感あふれる作曲家、都倉俊一氏に、ヒットメイカーとして奔走した過去とミュージカル音楽に注力しているという今を訊いた。

自分のやりたいことを徹底的にやってきたので、これらの曲を聴いていると、戦ってきた記憶が蘇える

--CDボックスや新レコーディングのアルバム、自伝とキャリアを振り返る企画が同時に発売されることになった経緯から教えてください。

都倉俊一 僕は昔から、曲を作ってレコーディングした後、その曲をあまり聴かないんですよ。大事にしていないわけではないんだけど、レコーディングでその曲に目いっぱい集中するとそこで完結してしまうんだ(笑)。そうこうするうちに、すぐに次の曲の作曲に入っちゃう。ピンク・レディーのシングルも発売後は聴いたことがないの。頭の中は不思議なもので、いつもカラの状態にしておきたいんだよね。
だから今回の企画は僕にとっていい機会だと思いました。他人事みたいで申し訳ないけど、一時代を振り返るとともに「よくここまで書いたな」って感がありましたね。30年ぶりに聴く曲もあったので、聴いていて飽きなかったですよ。
ただ、僕が今回の目玉にしているのが、グランドオーケストラでの新作になるCD『フェリシティー(至福の時)』です。これは僕の夢で、30年前にソニーでやって、当時はイージーリスニングの形を取ったんだけども、デジタルの時代になってからはやってないから、どうせ出すんだったら新たにレコーディングしてしまおうと思ったんです。みなさんご存知の「UFO」や「ウォンテッド」を、大人が聴く音楽にしようと思い、違うアレンジでレコーディングしたんです。

--最初にCDボックス『SONGS~都倉俊一ソングブック』のお話をうかがいます。このボックスの選曲には都倉さんの意向は反映されているのですか。

 第三者が選ぶことで気づくことが多いから、僕の意見は入れないほうがいいと思いました。僕自身あまり評価してない曲に対して「あそこのアレンジが良かった」と言われると、いろいろ思い出すんです。

--多くのヒット曲で都倉さんのメロディは聴いたことはあっても、すべてを知っている人は少ないから、今回のような企画版は本当に喜ばれると思います。

 カプチーノってグループのように、世に出てなくて、残念だなあと思いつつ20年以上経ったようなものが、今回掘り起こされるのはいいことですね。

--今回、改めて自身のキャリアを振り返ってみて、どんな印象ですか。

 いちばん感じるのは未熟さですよ。ジョン・レノンが18歳くらいのときに書いた詞を見て、破り捨てたくなったのと同じ。歴史だから仕方ないけど、作曲家としての僕の技量は未熟だったと思いますよ。あとは、あの時代によくあんなことまでやったなあという思い。

--未熟とは驚きますね。でもある程度自分の思うように音楽を作ってきたと思いますか。

 通して言えることは、戦ってきたなって感じかな。これまで何千曲って書いてきたけど、僕の曲提供者は新人ばかりで大スターに書いたことはほとんどない。僕の場合、ゼロから自分の色に染めていくタイプでした。それで、まあまあの打率を出したほうかなと思いますね。我々作曲家は悲しい立場で、歌手に拒否されたら、その曲は世に出ないわけですけど、僕は誰が反対しようと、自分のやりたいことを徹底的にやってきたので、これらの曲を聴いていると、いろんなものと戦ってきた記憶が蘇りますね(笑)。

--大御所ではなく新人に提供するのは、都倉さんのポリシーなんでしょうか。

都倉俊一 力関係もあるよね。でもあの頃は時代も良かった。阿久悠さんのような相棒もいたし。最終的には2人で作り上げるんだけど、大体どっちかがイニシアティブとるわけ。「この歌詞に曲書いてくれない?」ともってきた曲は、阿久さんの主導。逆に「詞を書いてよ」というときは僕のプロジェクト。阿久さんも、一人で戦っていた人でしたよね。実は、阿久さんも僕も美空ひばりさんに一曲も書かなかった。周りに「美空ひばりを断るんですか?」って、言われたこともあったけど、そういう意味ではいつも、自分の方向性があったね。

--クラシックもビートルズもGSも歌謡曲もアイドルヒットも、すべて広い意味での音楽ジャンルとして捉えているような印象があります。そこには、幼少の頃のヨーロッパ生活やそこで学んだクラシックの影響はありますか。

 音楽は自分の感性が出るものだから。育ちや環境など、囲まれた文化の影響がないってことはありえないですよ。それに、日本人のDNAの中にあるものは、時代が移ってもそんなに変わらないと思うんです。今の若いアーティストが書くメロディを聴いても、包みは変わっているけど、今から30年前、40年前の曲とそう変わってない。カッコつけているだけ。同じように、若い女の子の中にも日本人のDNAがあるから、何かを感じるわけ。だからヒットする。 僕たちが参考にした70年代のR&Bやモータウン、フィラデルフィア・サウンドは世界を風靡して、そこからファンクみたいなジャンルが出てきて、今のラップにつながっていく。でも、それは日本人が本当に同じように表現するには無理があるんだよね。

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