元メガデスのギタリストが日本に住んでいる。そう耳にして驚いたのはもう何年前だったか。あるとき深夜番組で見たその人は、ギターを手軽なおもちゃのように操りながら、流暢な日本語でJ-POP礼賛を語っていた。マーティ・フリードマン。偏見を持たず、こだわりは満載で、音楽への愛にあふれたその視点に、学ぶべきところはたくさんある。

--ギターを始めたのはいつ頃ですか?
「14歳くらいのときにKISSのライブを見に行ったらあまりに衝撃的で、“ロックしかない!”という決意がいきなり生れました」
「全然。実は、ロックは不良と思ってたから。僕は不良じゃない子で結構真面目だっだけど、そのライブを見に行ってからいきなり不良になりました(笑)。すごい転機だった」
--60年代は「ロック=不良」だったという話はよく聴きますけど、70年代後半のアメリカでもそうだったんですか?
「60年代のヒッピーのカルチャーが大嫌いだったから、ギターとかロックとか全部ヒッピーのイメージが強くて、嫌いだった。生れる前の50年代のポップスとかが好きだったから、ハードロックとかヒッピーの音楽は超嫌いだった。でもKISSを見たら、“これ全然ヒッピーじゃないじゃん、かっこいい!”。ライブ会場に入ると別の世界、違うところ、地獄だか天国だかわからないんだけど(笑)、本当に場所が違うじゃん」
--ロックに興味がなかったのなら、何故KISSを見に行こうと思ったんですか?
「友達があまりいなくて、ひとりいた友達がKISSを好きだったから、僕はなんでもいいから共通点がほしくて行ったんだけど、個人的にすごく好きになりました。そして次の日に1万円くらいのギターを買ってもらいました。お母さんに」
--お母さんは心配しなかったんですか?それまで真面目な子だったのに。
「いや、別に。お母さんは不良になったのを知らなかったのかもしれない(笑)。でもお母さんをガッカリさせないように頑張りました。弾けるようになるまでにそんなに時間はかからなかったですね。3ヶ月くらいでKISSの曲くらいは弾けるようになって、6ヵ月後にはもう人に教えていた(笑)。僕のギターの先生が僕に教えて、僕はその習ったばっかりのことを他の人に教えてた。超お得(笑)。習ったことで儲かるなんて」
「やっぱり『KISS ALIVE!』の曲ですね。あとラモーンズ。ラモーンズは僕のストライク・ゾーンの真ん中ですね。50年代の音楽が好きだったから、ラモーンズも50年代の革ジャンのイメージがある。音楽も意外と50年代っぽかったし、パワフルですごく吸い込まれた。弾きやすくて、ビギナーなのにすぐ弾けるようになったからすごく嬉しかった。手から血が出るほど弾いてたんですよ。1曲ずつじゃなくてアルバム全体を最初から最後まで」
--じゃあKISSを見てから世界がいきなり変わっちゃったんですね。
「そうですよ。真面目から超不良に。1年間くらいでバンドに入ったけど、そのバンドはみんなすごい若くて、すごくエネルギーがあった。みんなパンクとロックンロールがルーツで、15~16歳のくせにファンが大勢来てくれたんですね。だから不良になる恐れが大きい(笑)。いろんな悪影響がすぐに来る。特にその当時、違法な誘惑が多くて(笑)。17歳くらいまでにそういうのを経験したので、その後はまた真面目になりました」
「全然モテました。それまでモテなかったし友達もいなかったのに、完全に逆転。イケメンじゃなくてもバンドやってれば大丈夫じゃん、って。特に僕らのバンドはイケメンじゃないけどセクシーなイメージがあった。メイクして派手な服着て。ほとんど自分たちのお母さんの服だったんだけど(笑)。当時のバンドみんな地味だったけど、僕らは逆に派手だったから、結構女の子が来てくれた。音は男っぽかったけど、その世界に入ったらいきなりモテるようになったから、“正解だな”って思った」
--初めて人前で演奏したときのこととか覚えてます?
「全然恥知らずだったね(笑)。隣に住んでる人たちがバーベキュー・パーティーをやったときに“バンドで弾いてくれない?”って頼まれて、80ドルもらって。そのとき僕はバンドがなかったけど、そんなに払ってくれるんだったらバンドを組んじゃおう、って適当にバンド組んでリハしてやりました。80ドルだから20ドルずつになったんだけど、音楽弾くだけで20ドルもらえるなんて信じられない(笑)。“ワーオ!”って感じだった」
「そうですね。食べていけるかどうかわからなかったけど、音楽をやることがあまりに好きすぎて、続けたかったですね。“儲からなくてもとにかくやる”って決めた」
--プロ・デビューすることになったきっかけは何だったんですか?
「インディーズだったんですけど、シュラプネル・レコードっていうギターをフィーチャーするレコード会社がギタリスト募集中だったみたいで、僕がデモテープを送ったら、“上手いじゃん”って呼ばれて、行ってちょっとギターを弾いたら“レコード出すよ”って言われて、早速スタジオに入って弾きまくり。“これ抜群だよ!”って言われて出しました」
--初めて自分のレコードを手にしたときは嬉しかったですか?
「超嬉しかった。めちゃめちゃ嬉しかった。音はそんなによくなかったしジャケもダサかったけど、すっごい嬉しかった」
「実は卒業するのは普通の人より早かった。ずっとバンドをやってたからサボってばっかりで、ぎりぎりパスでいいからとにかく卒業したかったけど、毎日サボるから学校の人たちに怒られて、夜の学校に通って特別の卒業証書をもらったほうがいいよ、って言われたからそうした。でも不良だったから、卒業式は行きたくなかった、ダサいと思ってた。その服は絶対着ない、超ダサいと思って。一生の後悔です。後悔はあまりないけど、それは一生の後悔。行けばよかった。行ってないんだよ、自分の卒業式・・・」
--じゃあそのアルバムが自分の卒業証書なんですね。
--その後はどんな風にギタリストとしての道を歩んできたんですか?
「本当に小さい一歩ずつ、目の前にあることをやる。今でもまったく同じですね。そんなに大きな目的じゃなくて、目の前の何もかも、うまくいく可能性があったら一応やる。プロジェクトとか、人とジャムるとか、ラジオ局でインタビューするとかライブやるとか、どんなきっかけでもやりました。つまりいっぱい種を埋めた。種を埋めたらひとつくらいは何かいいことになる、っていう考え方で。子供の頃から今も一緒。あまり僕の好みじゃなくても、妥協したら後でいいことになる、そういうやり方ですね。例えば僕は料理とかさっぱり興味がないけど、料理の番組に出たら視聴者が僕の音楽を発見するから出る」
--メガデスに加入したのも、そういうことの積み重ねでですか?
「それはタイミングがよかったですね。あまりに貧乏すぎて(笑)。超貧乏でした。お金が全然なくて、中華料理屋さんから100円くらいの白ご飯を持ち帰って、ラー油かけて食べるっていう食事。1週間のうちにメガデスのオーディションとマドンナのオーディションがあって、メガデスは火曜日でマドンナが金曜日。メガデスがうまくいったからマドンナは行かなかった。行っても受からなかったかもしれないけど。メガデスはすごい相性が良くて、うまくいきました」
「そうですね。メガデスの前にもカコフォニーというバンドがあって、これは来日もしたから結構経験がいっぱいできてめちゃくちゃ楽しかったけど、メガデスはちゃんとしたメジャー・レーベルの生活にいきなりレベル・アップしたから、それが最高に良かった」
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