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the players' worlds プロの世界「Vol.19」佐橋佳幸 “日本一忙しいギタリスト”

■インタビュー/文:久保田泰平 ■撮影:本多 元 ■制作:Astrograph
掲載日:2008.9.4

 80年代からプロとして活躍。EPO、渡辺美里、小田和正、藤井フミヤ、山下達郎、佐野元春、桑田佳祐、坂本龍一……枚挙にいとまがないアーティストのレコーディングやライヴをサポートしてきたギタリストであり、音楽プロデューサーでもある佐橋佳幸。その名を知らなくとも、彼の弾いた印象的なギター・フレーズ――たとえば「ラブ・ストーリーは突然に」とか――を例に挙げれば、思わず感嘆の声をあげてしまうのではないだろうか。そんな彼が、94年に発表したソロ・アルバム『TRUST ME』が、このたび新装リイシューされた。プレイヤーとしてはもちろん、ソングライター/アレンジャーとしての魅力を存分に味わえる本作の復刻を機に、あらためて“日本一忙しいギタリスト”にスポットを当ててみようじゃないか。

--ギタリスト、プロデューサーとして活躍されている佐橋さんですけど、そもそもはシンガー・ソングライターになりたかったとか。

 ラジオで「全米トップ40」とか聴くようになって、音楽を聴くのが楽しくなっていって……そんな頃に友達のお兄さんが「最近は“自作自演”っていうものが流行っている」と。シンガー・ソングライターって言わずに“自作自演”って(笑)。それでギターを弾いてみようか、自分で曲を作ってみようか、って思い始めましてね。12−3歳の頃かなぁ、その頃ってギターが主役のヒット曲が多かったから――イーグルスとかもそうだし――そういうのをモノマネして曲を作り出したのが最初。たしかに、ギタリストっていうよりは“自作自演”志向の少年でしたね。

--音楽をやってる手応えを感じ始めたのはいつ頃からなんですか?

佐橋佳幸 まだ中学生の時でしたけど、ヤマハ主催のコンテストに応募して、友達3人とはっぴいえんどのモノマネみたいなことをやったら、賞を獲っちゃったんですよ。そしらた急にその気になって(笑)、<コレかな?オレは>みたいな。それでまあ、もっともっと曲を書きたいと思って、おもしろいコードはないかなとかどんどん研究していくようになって、練習もして……まあ、そのまま現在に至ってる感じです(笑)。

--当時よく聴いていたのはどんな音楽だったんですか?

 中三のときにイーグルスの「Hotel California」、同じ年にはセックス・ピストルズが出てきたわけですけど、僕と同い年ぐらいで現在もプロで活躍しているミュージシャンっていうのは、それこそ藤井フミヤくんとか、ルースターズの人たちとか、BOOWYとかレベッカとか、みんななんとなくブリット寄りというか、パンク~ニュー・ウェイヴのほうに傾倒してたみたいなんですよね。僕はそっちもキライじゃなかったんですけど、どっぷりアメリカの音楽のほうに行きつつ、あと、クロスオーヴァーって呼ばれていたフュージョンやAORの原型みたいなやつとか、テクニカルなものも好んで聴いてましたね。コピーしにくいし、そういうものの謎解きをしていくのが楽しかったんですよ。

--早い時期からプロデューサー的な素質を見せていたわけですね。

佐橋佳幸 話の合う友達がいなかったってだけなんですけどね(笑)。いまでこそ、小学生だってギター持ってバンドできるけど、当時はそういう時代じゃなかったですからね。ギターの教則本とかは出てましたけど、いま思えば合ってるやつなんてありゃしない。そんな感じなんで、自己流でやるか先輩たちに訊くしかなかった。ただ、僕らが出たコンテストで優勝したのが佐野元春さんだったんですよ。その頃、佐野さんは大学生で、村田和人さんとか、杉真理さんとか、大学のサークル同士で自主コンサートをやってたりとかして、そういうのに呼んでもらったりしてたんですよ。年上の人たちに囲まれていた環境も大きいですよね。高校に入ったら入ったで、同じ学校のひとつ上にEPOがいて、もうひとつ上には僕の師匠、清水信之さんがいて。

--すごくラッキーなめぐりあわせですよね。

 ですね。で、高一の文化祭の時にバンドをやったんですけど、終わったあとに清水先輩から呼び出されましてね。「二年の佐藤(EPOの本名)っていうのがコンテストで優勝したりしてデビューが決まりそうだから、おまえ手伝え」と。でまあ、デモテープ作りの時にギター弾きとして呼ばれまして。その時、「ああ、自分はこのままこういう仕事をするんだな」って思いましたね。そのあと、近隣の学校の連中と結成したのがUGUISS(ウグイス)だったんですけど、やりながらだんだんバンドが楽しいなって思ってきて、高校出てからこのバンドでデビューしたいと思って活動しながら……でも、いちばん最初にギターを弾いてお金をもらったのは、高三のときにEPOのファースト・アルバムで弾いたのが最初。その頃には信之さんも(竹内)まりやさんの「不思議なピーチパイ」でレコード大賞の編曲賞にノミネートされたり、たまたますごい先輩がそんなだったんで、環境は良かったですね。譜面の読み方とかも教えてもらったし。

--83年にデビューしたUGUISSは成功したバンドとは言えませんけど、その後のプレイヤー/プロデューサーとしての佐橋さんの活躍はめざましいものがありますよね。

 UGUISSを解散して、これからどうしようかなって考えてた時に、信之さんをはじめとした諸先輩方に「譜面も読めるし曲も書けるんだから心機一転裏方の仕事をしてみたら?」と励まされて…元々歌モノが好きで音楽をやってたわけだしそういう仕事も良いかなぁと少しずつ始めていって、一年ぐらいたったある日信之さんから「今度、ウチの学校の後輩がデビューするから手伝ってくれないか」って作曲とかアレンジを手掛けたのが渡辺美里。あのコは僕の5つ下かな。それが売れちゃったものだから、そのあとはもう……80年代のソニー、エピックの仕事はほとんどやっていたっていう(笑)。小室哲ちゃん(哲哉)とか大江千里くんとか岡村くん(靖幸)とか、あの頃の制作物の量はハンパじゃなかったですね。一日6曲とか平気でレコーディングしてましたから、かけもちで。

--裏方で活躍していた佐橋さんが、ソロ・アルバムを出そうと思ったきっかけは?

佐橋佳幸 でまあ、そういうことをやってるうちに、自分の音楽をやってみたいなって気持ちが芽生えてきて。他人の曲を書いている合間に、自分の好きなフレーズを鳴らしてたりしたんですよね。そうやって、誰のためでもない自分のもの、歌詞にしてもそういうものが出来てきて、その都度、メモをしてたんですよ。それをまとめたものが『TRUST ME』なんですけど、デモが20曲ぐらい出来上がってから、それを達郎さんのとこへ持って行ったんですね。

--達郎さんに持って行ったというのは、どういう経緯で?

 それ以前から面識はあって、それこそEPOのレーベルメイトでしたし、僕がいちばんよく使っていたスタジオが、達郎さんのところのスマイル・ガレージというスタジオでしたから。でまあ、スタジオに行けば達郎さんがいるわけですよ。そんな感じでちょくちょく会うたびに話をしたりしてたんですね。それで、自分の作品を作ろうってなった時に、バンド出身で裏方経験も豊富で、今は自分の名前で表札を出してやってる人、この人だったら僕のやりたいことをわかってくれるかもしれない、と思って、達郎さんに話を持ちかけたんですよ。そしたら快く受けてくださって。これはちゃんとやらなきゃと思って、当時ものすごく忙しかったんですけど、『TRUST ME』を作るためにその他の仕事を大幅にセーヴしましたね。まわりからは「なにもこんな忙しい時に……」なんてよく言われたんですけど、「いや、今やりたいことがあるんで」って。仕事をいただけるのはありがたかったんで、断るのがたいへんでした。

--“忙しい”といえば、『TRUST ME』のレコーディングと前後して、佐橋さんの数あるセッション・ワークでも印象深い楽曲が世に出ていますよね。小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」(91年)と、藤井フミヤのソロ・デビュー・シングル「TRUE LOVE」(93年)。

 そうですね。びっくりしたのは、『TRUST ME』に入ってる曲と同じタイトルだったんですよね、フミヤくんのは。僕のアルバムが完成したあとだったんで、曲をもらった時に「あれ? 同じタイトルだな」って。「オレも同じタイトルの曲をレコーディングしたばっかなんだよね」って話をしてた記憶がありますね。

--佐橋さんは、これまでに数え切れないぐらいのセッションを経験していますけど、お仕事を依頼された時に引き受ける決め手はなんですか?

佐橋佳幸 声ですね。レコーディングともなれば一日中スタジオで聴くわけですから、苦手な声の人とはいっしょにできないですよね。それは地獄ですよ(笑)。どんなに素晴らしいサウンドでも、声が苦手だったらダメですね。そもそもバンドを解散したあと、先輩たちの勧めで今のような仕事をするようになったわけですけど、歌が好きだから、歌をサポートする仕事だったら僕にもできるかもって思えたからできたんですよね。それがフュージョンだとかジャズだったりのインストだったら、ミュージシャンをやめてたかも知れない。プロデュースやアレンジの仕事を僕に依頼される方たちは、“ギタリスト”っていう前提で依頼されてると思うんですけど、僕は、歌を引き立てるためにギターが必要ないんだったら入れないですし、基本的には“歌”なんですね。自分のなかで響くもの、響かないものの基準は、総じて言うと“声”なんです。

--ところで、ご自身の声については?

 すいません(笑)。これだけ言っておいて、こればっかはね(笑)。でもね、歌っておけと。『TRUST ME』も最初に達郎さんに渡したデモはね、全曲歌モノだったんですよ。なんだけど、当時、“アンプラグド”なんて言葉が流行ってたこともあって、達郎さんがアコースティックのインストゥルメンタル作ったほうがいいよって。そんな急に言われてもねえ……ってなるところなんでしょうけど、身体全体がクリエイティヴな方向に向いてたせいか、パッとできちゃったんですね、不思議なもので。おかげで、僕のやりたかったことが、達郎さんのひとことでまとまりがついた感じがして。オレのヴォーカルを聴け!っていうタイプの人間だったら全部歌モノにしたんでしょうけど、僕の場合、オレの楽曲を聴け!ってことだったんで。達郎さんって、いちいち筋が通ったことをやってくれるんですよね(笑)。

佐橋佳幸 Professional's eye

--佐橋さんのプロとしてのこだわりを教えてください。

佐橋佳幸 アーティストあっての僕らの仕事ってところがあるんで、アーティストと対峙したときに、なんで自分が指名されたかっていうのをよく考えるってことですかね。あと、引き受けたら責任もってやる。「やっぱダメだったなあ、この人とは」と思っても、最後までやり遂げたいと思いますね。出会ってるんだから、きっとなにかあるはずだと思うし。ただ、そういう気持ちになったことはいままでほとんどないですけどね。それは運が良かったところです。音楽って“時間”じゃないですか。音符の長さを扱うという意味でも。作業している“時間”をどうやって豊かなものにするかっていうことだと思うんですよ。それをちゃんと考えたうえでプロジェクトを立ち上げないと、イヤな思いをして終わるんじゃないかなと思いますね。

佐橋佳幸 Private Music

--リスナーとして、最近はどのような音楽の聴き方、接し方をされてますか?

 昔から楽器屋よりレコード屋のほうが好きだったんで、弦張り替えるのを我慢して、レコード一枚買ってたっていう。だから、自分が聴きたい音楽っていうのは絶えずあるんですよ。それが途絶えたことはない。昔の音源でも、リマスター盤とかボーナス・トラックが入ってたり……そういうのにまで興味を持っちゃうと、いくら時間があっても足りないですね。だから最近は、聴く時間を作るために、iPodを活用してますね。ツアーになると3か月ぐらい出かけっぱなしでしょ。iPodだったら軽いからどこへでも持って行けるし、本当に活躍してますね。