MUSICSHELFトップ > 特集・連載 > 奥田民生 ライブドキュメント

前回の「金沢と民生」では、民生さんに「普通の質問」をするということばかり書いてしまい、肝心のライブドキュメントを書く字数がまったくなくなってしまった。そんな金沢公演で気づいたことがひとつあった。なぜに奥田民生はツアーをコンスタントに行なうのか、どうして旅に行くのか。その答えが少しだけ見えた気がしたのである。そのままズバリ直球で民生さん本人にきいてみてもいいが、「絶対的な答え」は関係を硬直化させる。求められた答えというのは、往々にして真実ではないことが多い。直球系の質問はあえてせず、「普通の質問」をすることで、立ち上がってくる何かがあるはずだ。
金沢公演の前には東京・渋谷での公演があった。基本「音楽と土地」というテーマがあり、地方公演における奥田民生を追いかけることが目的なので、東京・渋谷CCレモンホールにおけるライブにも行ったが、あえて書かなかったものの、民生さんはMCでこんなことを言っていた。
「渋谷区民のみなさん、こんばんは。」
会場のお客さんは笑っていた。なぜならかつての渋谷公会堂である最近のネーミングライツによってリニューアルした渋谷CCレモンホールに「渋谷区民のお客さん」はほんの一握りしかいないからだ。ここには、東京だけでなく首都圏、いや関東甲信越地方から大勢のお客さんがやって来るわけで、それが東京という土地の特徴だろう。様々な土地の人間が交わり、だからこそ都会独特の途方もないパワーが生まれる。確かにライブ自体の盛り上がりも相当なものだった。これが本当に民生さん言うように、渋谷CCレモンホールがほぼ渋谷区民で埋め尽くされたとしたら、それはどんなライブになるのだろうか。それはそれである種独特な空気が生まれるだろう。地方のライブはまさに独特な空気が存在し、毎回それぞれちがった空気が流れていた。お客さんはほぼ全員鹿児島県民だったり石川県民だったりと土地の濃度が濃いからだ。「盛り上がる」という、一方向な空気ではなく、あたたかかったり熱かったりじっとしていたり、民生さんの歌と演奏を起爆剤に一緒に盛り上がろうというよりも、民生さんを自分たちの土地に迎え入れて、対話なり対決なり、面と向き合ってしっかり目を見て、奥田民生を知りたいという気迫に満ちていたように思う。
ここで重要なのは、会場に到着するまで、お客さんが何を考えたかということである。東京のお客さんたちは、地方のお客さんたちに比べ、考えるというよりも、情報を処理することに時間をとられる。渋谷の駅からCCレモンホールへの道中はおびただしい情報が転がっている。店やイベントや街の人々の格好や目に飛び込んでくるものが多すぎる。民生さんのことを考えていたとしても、ついつい民生さんのこと以外に気をとられる。しかし、地方ではそんなことはない。奥田民生のことだけを考えて会場に来るのである。自分のことよりも奥田民生だ。彼が自分たちの土地にやって来る高揚感も手伝って、頭の中は民生一色だ。他のことが目に入ったとしても、「民生さんは買い物したのかな、お土産に何を買ったのかな」とか「民生さんは帰りにどこでご飯を食べるのかな、どこで飲むのかな」とか、日常に突如あらわれた奥田民生を想像するのである。

金沢で気づいたことというのは、開場前のお客さんの待ち方だ。全員しっかりと待っていた。じっと待っているのだ。時間を有効に使うとか、ついでに何かをしようとか、そういう身体ではない。完全に待っている、じっと待っているのだ。ある種の美しさすら感じた。東京だったらそうはいかないだろう。早く着いたから買い物しちゃおうとか、あのショップをのぞいてみようとか、ちょっとお茶して軽く食べちゃおうとか、隙間の時間も効果的につかおうと身体が動く。それはある意味落ち着きがないが、都会に生きるというのはそういうことである。
彼らは待つ。ただ待つ。奥田民生に会うために。だから、待つことに何のためらいもないはずで、むしろ喜びすらおぼえるだろう。今日という日のこの時間は、奥田民生のためにつくった時間だ。
そしてそれは民生さんにとっても同じことがいえる。今日という日のこの時間は、お客さんのためにつくった時間だ。
これはひとつの「待ち合わせ」だ。素敵な待ち合わせだ。「待ち合わせ」はその関係性に上下はなく対等なものである。音楽活動はれっきとしたビジネスで、プロモーションだとか動員だとかそこには色々なお金や時間にまつわる数字がつきまとうが、そんな状況を超越して、奥田民生にとってのツアーは「待ち合わせ」の連続だと思う。そんな相思相愛の関係にある両者が出会った時、それは得も言われぬ至福の時間が待っている。民生さんは「そのままありのまま」だ。「俺を見てくれ!」とか「俺の歌を聴け!」とか「俺のメッセージを感じてくれ!」とか、それはそれで立派な表現の方法だが、民生さんはお客さんに向けて殊更、過度に煽ったりはしない。そうなると「待ち合わせ」は成立しない。煽るという行為はそれなりにプレッシャーがかかるし、プレッシャーをかけてしまう。共有した時間が硬直化する恐れもある。だが「待ち合わせ」は、これから何が起こるのかわからない未知への期待からくる軽やかな空気が漂う行為だ。
ステージに立つ者があらかじめルールを作った盛り上がりではなく、一生懸命に歌い演奏し、一生懸命に聴き、時に歌い、相思相愛の両者が毎回異なる濃密な空気を作り上げていく一夜の達成感。それはどこか官能的ですらある。決まっているのは「待ち合わせ」だけだ、その後のことは誰にもわからない。民生さんにもわからないだろう。
だから、奥田民生は旅に出る。
※会場内の写真は渋谷、JCB公演から使用しています。
金沢公演の前には東京・渋谷での公演があった。基本「音楽と土地」というテーマがあり、地方公演における奥田民生を追いかけることが目的なので、東京・渋谷CCレモンホールにおけるライブにも行ったが、あえて書かなかったものの、民生さんはMCでこんなことを言っていた。
「渋谷区民のみなさん、こんばんは。」会場のお客さんは笑っていた。なぜならかつての渋谷公会堂である最近のネーミングライツによってリニューアルした渋谷CCレモンホールに「渋谷区民のお客さん」はほんの一握りしかいないからだ。ここには、東京だけでなく首都圏、いや関東甲信越地方から大勢のお客さんがやって来るわけで、それが東京という土地の特徴だろう。様々な土地の人間が交わり、だからこそ都会独特の途方もないパワーが生まれる。確かにライブ自体の盛り上がりも相当なものだった。これが本当に民生さん言うように、渋谷CCレモンホールがほぼ渋谷区民で埋め尽くされたとしたら、それはどんなライブになるのだろうか。それはそれである種独特な空気が生まれるだろう。地方のライブはまさに独特な空気が存在し、毎回それぞれちがった空気が流れていた。お客さんはほぼ全員鹿児島県民だったり石川県民だったりと土地の濃度が濃いからだ。「盛り上がる」という、一方向な空気ではなく、あたたかかったり熱かったりじっとしていたり、民生さんの歌と演奏を起爆剤に一緒に盛り上がろうというよりも、民生さんを自分たちの土地に迎え入れて、対話なり対決なり、面と向き合ってしっかり目を見て、奥田民生を知りたいという気迫に満ちていたように思う。
ここで重要なのは、会場に到着するまで、お客さんが何を考えたかということである。東京のお客さんたちは、地方のお客さんたちに比べ、考えるというよりも、情報を処理することに時間をとられる。渋谷の駅からCCレモンホールへの道中はおびただしい情報が転がっている。店やイベントや街の人々の格好や目に飛び込んでくるものが多すぎる。民生さんのことを考えていたとしても、ついつい民生さんのこと以外に気をとられる。しかし、地方ではそんなことはない。奥田民生のことだけを考えて会場に来るのである。自分のことよりも奥田民生だ。彼が自分たちの土地にやって来る高揚感も手伝って、頭の中は民生一色だ。他のことが目に入ったとしても、「民生さんは買い物したのかな、お土産に何を買ったのかな」とか「民生さんは帰りにどこでご飯を食べるのかな、どこで飲むのかな」とか、日常に突如あらわれた奥田民生を想像するのである。
金沢で気づいたことというのは、開場前のお客さんの待ち方だ。全員しっかりと待っていた。じっと待っているのだ。時間を有効に使うとか、ついでに何かをしようとか、そういう身体ではない。完全に待っている、じっと待っているのだ。ある種の美しさすら感じた。東京だったらそうはいかないだろう。早く着いたから買い物しちゃおうとか、あのショップをのぞいてみようとか、ちょっとお茶して軽く食べちゃおうとか、隙間の時間も効果的につかおうと身体が動く。それはある意味落ち着きがないが、都会に生きるというのはそういうことである。
彼らは待つ。ただ待つ。奥田民生に会うために。だから、待つことに何のためらいもないはずで、むしろ喜びすらおぼえるだろう。今日という日のこの時間は、奥田民生のためにつくった時間だ。そしてそれは民生さんにとっても同じことがいえる。今日という日のこの時間は、お客さんのためにつくった時間だ。
これはひとつの「待ち合わせ」だ。素敵な待ち合わせだ。「待ち合わせ」はその関係性に上下はなく対等なものである。音楽活動はれっきとしたビジネスで、プロモーションだとか動員だとかそこには色々なお金や時間にまつわる数字がつきまとうが、そんな状況を超越して、奥田民生にとってのツアーは「待ち合わせ」の連続だと思う。そんな相思相愛の関係にある両者が出会った時、それは得も言われぬ至福の時間が待っている。民生さんは「そのままありのまま」だ。「俺を見てくれ!」とか「俺の歌を聴け!」とか「俺のメッセージを感じてくれ!」とか、それはそれで立派な表現の方法だが、民生さんはお客さんに向けて殊更、過度に煽ったりはしない。そうなると「待ち合わせ」は成立しない。煽るという行為はそれなりにプレッシャーがかかるし、プレッシャーをかけてしまう。共有した時間が硬直化する恐れもある。だが「待ち合わせ」は、これから何が起こるのかわからない未知への期待からくる軽やかな空気が漂う行為だ。
ステージに立つ者があらかじめルールを作った盛り上がりではなく、一生懸命に歌い演奏し、一生懸命に聴き、時に歌い、相思相愛の両者が毎回異なる濃密な空気を作り上げていく一夜の達成感。それはどこか官能的ですらある。決まっているのは「待ち合わせ」だけだ、その後のことは誰にもわからない。民生さんにもわからないだろう。だから、奥田民生は旅に出る。
※会場内の写真は渋谷、JCB公演から使用しています。
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