まったく別の世界のようでいて、実はそう遠くない価値観を持つふたつの文化――野球と音楽を繋ぐキーワードを探すべく、 MUSICSHELFがお届けするシリーズ「NO BASEBALL, NO LIFE.」。ひさびさのインタビューは、現在も忙しい合間を縫って草野球を楽しんでいるという、ジャイアンツファンの馬場俊英さん。馬場さんの歌の世界にも通じる、馬場さんらしいお話しがいろいろと窺える……か!?
--「NO BASEBALL, NO LIFE.」は、ズバリ"野球と音楽"がテーマになっているんですけど、ニュー・アルバムのタイトルが『延長戦を続ける大人たちへ』ということで、馬場さんにはこのテーマの意味を十分理解いただけるんじゃないかと。
はい、今回のアルバムは野球場のジャケットにしようかっていう案もありましたので(笑)。僕は野球少年で、今も草野球をしてるんですが、野球の原風景というか、子どもの頃にグラウンドで感じとった匂いというは今も心に残っています。野球のグラウンドのなにがいいかっていうと、自分がいて、友達がいて、先輩とかがいて、勝ったり負けたりがあって、汗があって、涙があって、風があって、空があって、太陽があって、結果があって、悔しさがあって……いろんな要素がグラウンドのなかにはあるんですよね。そういう、僕らの今の生活にもあてはまるような要素がたくさんあるっていう、そういう野球場から立ちのぼってくるロマンみたいなものには、たまらないものがありますね。シビレます(笑)。あと、野球を生き方に例えると、十代の頃は野球でいえばトーナメント戦を戦っているような感覚というか、一回負けたら終わっちゃう怖さに挑んでいたところがあったと思いますが、大人になるとリーグ戦というか、まあ、3連戦を1勝2敗だとしても、次の3連戦は2勝1敗でもいいか、負けることもあるようっていう、そういう感覚が生まれてきたなあって、たまに思うことはありますね。
――技術面以外の部分で、野球から教えられたことはありますか?
教わったっていうか、ダブらせて考えることはすごく多いですね。最近しみじみ思ったのは、元ジャイアンツの川相選手(※1)のことで。川相選手は岡山県の高校で甲子園にも出て、ピッチャーとして活躍してたんですよね。で、プロになって……でも、ジャイアンツに入ったらピッチャーでは通用せず、野手に転向されたんです。本人としては挫折というか、ショックだったと思うんですね。それでも野球を続けたいっていう思いがあって、やがてバントの名手になっていったわけじゃないですか。川相少年は、送りバントが川相らしいって言われるとは夢にも思ってなかったと思うんです。でも、そういうのが自分らしさということではないですかね。テーブルに置かれたものから自分らしさを選り好むのではなく、これもできない、あれもダメ、これもダメなのか、って思い知らされた中から、でもがんばりたいっていう思いで手にするものが自分らしさなんじゃないかと思うんです。こんな音楽をやりたい、あんなのもこんなのもやりたいっていうのがありましたが、あれもこれもダメで、でも自分にはなんかこれならできそうだぞって、それが今の自分らしさになっていると思うし、馬場少年もまさかこんなシンガーソングライターになるとは思わなかったっていう。
――ジャイアンツOBといえば、元木選手(※2)も、まさか"クセ者"なんて呼ばれるとは、「目標は清原さんです」と答えていた高校球児時代には思ってなかったでしょうね。
でしょうね。やっぱり、プロ野球の世界って、僕らの生活とは違って、すぐに結果を出さないといけない、すぐに出る世界だから、そこにはドラマが生まれやすいですよね。ライオンズの渡辺監督(※3)とか、僕と同世代で、群馬県出身でわりとご近所ですが、選手としても一流でしたし、そのあとも台湾リーグに行かれて、指導者もやって、それでライオンズの監督になって、1年目で日本一になって、っていう。そういう生き様にすごく感動するんですよね。結果が出なかった時期があっても、それを活かして、それなりの日々を過ごして、その人なりのタイミングでまた華開くっていう、そういうのを見るとホント勇気づけられる。そういう意味でもっとも忘れられないのが、元ジャイアンツの吉村選手(※4)。
――札幌円山球場でのアクシデント(※5)ですね。
あれで大ケガされて、リハビリを続けて、復帰して。引退後は、二軍監督を経て、今は一軍の野手総合コーチ。未来の四番を期待されていたなかでケガをして、選手生命も危ぶまれたなかで、その続きを生き抜いて……吉村さんにはいずれジャイアンツの監督になっていただきたいです!
――吉村のホームランで優勝を決めた時は泣けましたねえ。
泣きましたねえ。十代の頃は、野球選手っていえばグラウンドの上のヒーローたちだけだったけれど、大人になるにつれ、そういうグラウンドの裏側のドラマみたいなのに泣けたりすることがありますね。あと、僕が好きなのは、シーズン・オフとかにスポーツ新聞に載る、退団した選手の記事。引退後の職業などが掲載されていて、そういう記事をみるとたまらなくなります。お会いしたこともありませんし、お話したこともありませんが、野球選手として何年間かをやり尽くして、新たな道のスタートをきっている方がいて、そこにはご家族の方たちがいらっしゃって……って、いろいろ思うと、感動してしまいますね。思わず「がんばれ!」って言いたくなります。いろんな決断があったり、自由契約になってもトライアウトでがんばる方がいらっしゃる。どれが正解ということはないと思いますが、自分だったらどうするかっていうことを考えさせられますね。
――まさに、長嶋茂雄終身名誉監督の名言「野球というスポーツは人生そのものです」(※6)ですね。
本当ですね。プロ野球もそうですし、高校野球なんかでもそう。高校野球って甲子園でやっているだけが高校野球じゃなくて、あそこを目指して日々練習している全国の球児の姿が本当の意味での高校野球なんですよね。毎日の積み重ねがあって、大会があって、だから沁みるわけですよ。
――そういえば、今年の夏の甲子園では馬場さんの歌声が流れるそうで!
そうなんですよ。5回ウラの攻撃終了後に、僕が歌った「栄冠は君に輝く」(※7)が流れるんです。
――すごい! ちなみに甲子園で野球観戦したことはあります?
ありますよ。高校野球を観に。初めて行った時の印象は「狭!」でしたね。あと、「古!」って。でも、ここで阪神×巨人戦を観たら相当盛り上がるだろうなって思いました。
――ところで、巨人ファンの馬場さんですが、今年は首位を快走中でゴキゲンもよろしいかと。
でも、ヤクルトが意外とくっついてますよね。中日、阪神あたりは選手の年齢も上がってきたし、去年のジャイアンツのようなサプライズはなさそうだなって。ヤクルトはがんばってますね。グライシンガーもラミレスもジャイアンツに行っちゃったのに。でも、高田さん(※8)が監督なんで、ちょっとがんばってほしいなっていう気持ちはありますね。
――僕にとっての最初の野球ヒーローは、その高田だったんですけど、馬場さんにとっての最初の野球ヒーローが誰でしたか?
やはり王選手ですね。いつもホームランを打ってた印象があって。もうちょっと大きくなってからだと原さんとかクロマティーとか。ピッチャーでいうと、江川、西本、定岡の三本柱。
――今のジャイアンツは、若い選手も台頭してますし、黄金時代到来といってもいいんじゃないでしょうか。
そうですね。若い選手はピッチャーもそうですし、野手だと坂本を筆頭に、松本とか……最近、TVの中継もほとんどないですし、ちょっと試合を追いかけていないと、誰これ?っていう選手が出てますよね。でもまあ、外国人の補強をうまくやっていけば、この先しばらくは黄金時代が続きそうですね。
川相選手(※1)
川相昌弘。岡山南高校時代には2度甲子園に出場。82年のドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名。投手としての入団だったが、すぐに野手へと転向。プロ入り3年目ごろから守備要員として一軍に定着し、89年に就任した藤田監督のもとで開花。二番・ショートのレギュラーをつかみ取る。送りバントの名手として知られ、通算犠打数533は世界記録になっている。2004年に中日に移籍、2006年に引退。
元木選手(※2)
元木大介。大阪・上宮高校では甲子園に3度出場。通算6ホーマーを放ち、清原以来の超高校級スラッガーとして注目を集める。巨人入団後は長距離ヒッターというより、バッテリー以外のポジションをこなせるユーティリティー・プレイヤーとして活躍。また、チャンスに強いバッティング、有利なゲーム展開をするために自分を犠牲にしたプレイができることから、長嶋監督から"クセ者"の愛称を授かった。
渡辺監督(※3)
82年のドラフト会議で西武ライオンズから1位指名され入団。86年、88年、90年と最多勝のタイトルに輝くなど、ライオンズ黄金時代のエースとして活躍する。99年に台湾のプロ野球チーム、嘉南勇士(現・米迪亜ティー・レックス)に選手兼コーチとして移籍。1年目から18勝を挙げ、その後も台湾球界に発展に貢献する。二軍投手コーチ、二軍監督を経て、2008年に西武の一軍監督に就任。1年目で日本一に。通称、ナベQ。
吉村選手(※4)
吉村禎章。81年にPL学園で甲子園に出場し、優勝を果たす。同年のドラフト会議で、読売ジャイアンツから3位指名され、入団。翌年には駒田徳広、槙原寛己とともに(背番号)50番台トリオと呼ばれ、若手の成長株に。その後、クリーンナップに定着し、未来の四番打者と目されていたが、88年のアクシデントにより、野球人生の軌道修正を余儀なくされる。98年に現役を引退。現在は一軍野手コーチを務める。
札幌円山球場でのアクシデント(※5)
88年7月6日、札幌・円山球場でおこなわれた巨人対中日の8回表。中日のバッター、中尾孝義の放った外野フライを捕球したレフトの吉村禎章とセンターの栄村忠広と激突。吉村は左膝靱帯4本うち3本を断裂するという重傷を負う。スポーツ医学の権威であるフランク・ジョーブ博士の執刀を受けたのち、必死のリハビリを続け、翌89年9月2日に代打として復帰。90年9月8日の対ヤクルト戦では、リーグ優勝を決めるサヨナラホームランを放った。
「野球は人生そのもの」(※6)
2001年のシーズン終了後におこなわれた長嶋監督の勇退と原新監督の就任会見で、「長嶋さんにとって野球とは何ですか?」という記者の質問に対しての答え。
「栄冠は君に輝く」(※7)
夏の全国高等学校野球選手権大会の大会歌(作詞・加賀大介、作曲・古関裕而)。オリジナルは1949年に録音、発売されている。開会式、閉会式で演奏されるほか、近年は5回ウラ終了時のグラウンド整備時に、イメージ・アーティストが歌唱したものが流れている。
高田さん(※8)
高田繁。67年にドラフト1位指名され、読売ジャイアンツに入団。1年目からレフトのレギュラーに定着し、新人王を獲得。その華麗な外野守備は"壁際の魔術師"の異名もとった。走攻守揃ったプレイヤーとして、巨人のV9にも大きく貢献。現役時代の背番号は8。引退後は、野球解説者、巨人の一軍ヘッドコーチ、二軍監督、日本ハムファイターズのゼネラル・マネージャーなどを経て、2008年に東京ヤクルトスワローズの監督に就任。機動力重視の野球で、2009年シーズンのセ・リーグをおおいに盛り上げている。
馬場俊英ニューアルバム『延長戦を続ける大人たちへ』最新インタビューを同時掲載中!
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馬場俊英 特集インタビュー
『延長戦を続ける大人たちへ送る、唄がある。』
【 第1回放送 『WBCを振り返る』 】
<Podcast> ゲスト : 矢野 博康、オカモト”MOBY”タクヤ (2009.4.3掲載)
【 第2回放送 『プロ野球開幕』 】
<Podcast> ゲスト : 矢野 博康、オカモト”MOBY”タクヤ (2009.5.12掲載)
【 第3回放送 『横浜vs千葉~東京ベイシリーズ~』 】
<Podcast> ゲスト : DJ JIN(RHYMESTER)、オカモト”MOBY”タクヤ (5.19掲載)
【 第4回掲載 「プロ野球から教わった自分らしさ 」 】
<Web> ゲスト : 馬場俊英 (2009.6.25掲載)
【 第5回放送 「フィリーズとマイケル・ジャクソン 」 】
<Podcast> ゲスト : 西寺郷太 (2009.9.18掲載)
【 第6回放送 「2009年の球界を振り返る 」 】
<Podcast> ゲスト : 山崎二郎 (2009.11.20掲載)






