ARTISAN de la MUSIQUE

ARTISAN de la MUSIQUE 2009年8月号 - P.01



 まずは、その略歴から。伊藤アキラ氏は1940年8月12日生まれ。千葉県出身で、本名は伊藤皓。東京教育大学文学部在学中から三木鶏郎に師事し、やがて三木の主宰する冗談工房に加入。そこで番組主題歌やCMの作詞、番組構成、コントなどの執筆に従事したのち独立。以来、CM音楽の作詞を中心に活躍している。「この木なんの木」や「答え一発カシオミニ」、「パッ!とさいでりあ」、「青雲のうた」などCM作品は実に4,000曲に及ぶ。ほかに渡辺真知子「かもめが翔んだ日」やアニメ『うる星やつら』の主題歌「ラムのラブソング」、「はたらくくるま」、「南の島のハメハメハ大王」など、歌謡曲からアニメ主題歌、童謡、社歌まで幅広い分野で作品を発表。また、文化放送と雑誌「広告批評」の主催で1984年より2006年まで行なわれたラジオCMコピー大会では審査員を務めており、自身もACC賞など受賞歴多数。著書に「単身赴任のない稼業 フリーランサーの方法」(講談社刊)がある。




--まずは、キャリアのスタートとなる三木鶏郎さんの冗談工房との関わりから伺えますか。

きっかけは、大学二年の春(60年)、学内の食堂の掲示板に貼られていた「冗談工房研究生募集」というポスターを見たからです。あれを目にしなければ、こうはなっていなかったと思います。

--元々、文筆活動への興味はあったのでしょうか。

全然。あ、でも文章は書いてました。文章といっても私のやってたのは学校新聞なんですよ。これはキャリアとしては長いです。小学校、中学校、高等学校とずっと新聞部に入ってましたからね。新聞記者に憧れていたんですよ。

--三木鶏郎さんの存在を意識されたのはいつですか。

子供の頃の娯楽といえばラジオしかないですからね。で、ラジオといえば、鶏郎さんがやってた『日曜娯楽版』(47年)だったんです。だから三木鶏郎、冗談工房というのは子供心に刷り込まれていました。

--募集の告知に対して100人くらいの研究生が集まったとのことですね。

そう、最初は100人くらいいたかな。いや、もうちょっと少なかったかも知れない。でも少なく見積もっても70人はいたでしょう。で、訪ねて行くと「これから毎週土曜日、鶏郎さんの講義があります」ということだったんです。

--それはどちらでですか?

四谷の凡天寮ってところです。そこを冗談工房が寮として借りていたんですよ。そこで寝起きしている若い作曲家もいました。普段は襖で仕切ってるんだけど、それを外すと割と大きい広間が出来るんです。

--そこに毎週70人が集うんですね。

そう。まるで江戸時代の牢屋ですよ(笑)。牢名主がひとりいてね。狭い部屋でも正座して膝を詰めて座るとたくさん座れるでしょ。鶏郎さんの講義が午後1時から。そのあとは、当時、冗談工房が持っていたコント番組のテーマの紹介っていうのがあって、そのテーマに基づいて次週分のコントを書いて来い、と。それが宿題なんです。

--その選考や採点はどなたが担当されるんですか。

冗談工房の先輩や同人が、採点して返してくれるんです。採用されたものはギャラが出るんだけど、されなかったものはA・B・C・Dの評価を付けて返却されるんですよ。で、月末になると採用本数に応じてギャラが出るんです。

--作品に対する寸評のようなものは?

それはない。ただ段階評価だけです。

--ちなみにその頃、先輩にあたる永(六輔)さんたちはいかがでしたか。

もう、その時点で超大物。永さんみたいに自分の名前で出ていますっていう冗談工房の同人は、土曜日の放送で自分の名前でショート・コントやショート・ストーリーなんかの作品を発表出来たんです。いわゆる週のテーマにのっとったショート・ショートを書いてたんですよ。で、我々小物たちが月曜から金曜までのものを書いてました。コントといってもね、ほんの四、五行で、男「なんとか」、女「なんとか」で、ぽんぽんっと続いて、オチ、みたいなものです。で、それがひとつ採用されると、その都度200円貰えるんですね。当時の200円といえば大変なものですよ。現在だったら2,000円くらいかな。あの頃、育英会の奨学金のスタートが2,000円なんです。その後、増額されても3,000円ぐらいだから、奨学金一ヶ月分が、一枚200字くらいの原稿でポンっと入るのね。でも、なかなか採用されないんだけど(笑)。

--発想や採用されるコツのようなものは教わるんですか。

いや、特にコントの書き方っていうのに決まりはないの。とにかく書けって言うだけで。だから採用されないと、みんな嫌気が差して出てこなくなるんです。

--なるほど、そうやって淘汰されていくんですね。 そもそも研究生に月謝などを払う義務はないんですか?

ないです。だから、誰でも入れるんですよ。それに審査もない。来る者拒まず、去る者追わず。残る者は残りなさい、自分で稼ぎなさいという感じでした。

--ちなみに、応募してきた研究生の対応はどういった方が担当されたんですか。

文芸担当の人たちと、当時、電通にいた山川(浩二)さんでやってたんじゃないかな。山川さんは鶏郎コマソンの元締めでもあったわけ。鶏郎さんの窓口だったんですよ。だから、鶏郎さんが仕事で忙しくて講義に来られない時なんかも、代わりに講義してました。「CMソングの現在」とかそういうのを。

--当初、大人数だった研究生が、最終的には6、7人しか残らなかったという話を何かの本で読みましたが、残った人は仕事としてレギュラーで書いていける状態だったんですか。

その頃になると採用率も安定して、月々の収入をある一定レベルでコンスタントに保てるようになるんです。でも、そうするとなかには学生を続けるかコント作家になるかで悩む人も出てくるわけ。私の場合は大学四年を終えた時点で大いに悩んだけど、学生証の魅力にひかれて、学生証を確保しつつバイトで冗談工房の道を選んだんです。つまり、学士入学したんですよ。ところが、学業とバイトの両立に苦しむというパターンに陥って、そのうち、どっちかに踏ん切りをつけなきゃいけないことになって、結局、学生の方は終わりにして、冗談工房一本にしたんです。ただ、スタンスは、あくまでもフリーランスと同じ。面白いものでね。毎月コンスタントに仕事やギャラが入ってくると、「このままいけるんじゃないか」と思っちゃうんですよ。仕事は永遠に続き、それを永遠にこなすことが出来て、ほかの仕事も増えてラン、ラン、ラン♪ といった気分になるんです。どうも、この世界、そういう性格やキャラクターじゃないとやっていけないんだね。ところがですよ。現実は、コント番組がひとつ消え、ふたつ消えって時代になるわけ。ご存知の通り、ラジオの編成・制作のスタイルだって変わっちゃった。外部で制作してそれを放送するなんてことよりも、局内でアナウンサーが喋ってお皿回してれば番組が出来る時代になるんです。そのうち冗談工房でやってた番組もなくなり、コント作家も否応なしにコマソンの作詞をやらなきゃいけなくなっちゃった。

--それはやむにやまれずって感じですね。その時点では。

そう。ただ、鶏郎さんはやむにやまれずじゃないんだよ。どんどん仕事が来るわけだから。民放開局とともにあの人はコマソンをどんどん生産して、かつ民放の番組でも音楽を担当するようになるんです。あの人は両方楽しんでたけど、私はどっちかっていうと、最初は作詞に対してあんまり興味がなかったんです。特にコマソンの詞についてはね。鶏郎さんの詞を見たってさ。正直な話、自分でもやってみたいって種類のものではないわけ。だって、同じ商品名を繰り返して、四季を織り込みながら、出てくるのはパパ、ママ、ボクでいけちゃうスタイルでしょう。鶏郎さんは曲もつけてなおかつ高いギャラが取れるから、そりゃ楽しい。だけど詞だけってことになると、果たして面白いのかなぁ、と。だけど、その時点ではもうコント番組がないんだからさ。「コマソンでも書いてみるか」って話になるわけですよ。その頃、朝日放送が「ミュージカル・スポット・コンクール」(※1)っていうのをやっていたんですね。それがえらい安い値段でスポンサーを集めてコマソン作って、コンクールやって、グランプリを獲ったスポンサーにはボーナス・スポットを何本、とかそういったシステムを成立させてたんですよ。しかも、金賞は何本、銀賞は何本っていうボーナスが付く。いってみれば営業企画ですよね。で、その参加費が結構安いんです。鶏郎さんに直にコマソンを一本頼むと、まぁ仮に300万としましょう。ところが、ミュージカル・スポットの参加費ってのが、30万か40万くらいだったの。だから、普段、鶏郎さんには頼めないっていう町のお煎餅屋さんとかさ、そういうところが頼んでくるわけです。実際、朝日放送もそういうところを狙ったんですよ。だけど、なかには、大企業なのに「電通を通すと300万なのが、ミュージカル・スポットに参加すると30万だから」ってことで、その機会を使ってコマソンを手に入れたところもあるんです。エースコックの「ブタブタコブタ♪」なんてのもそのひとつですよ。


 
【音楽職人トピックス】



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2012年1月28日(土)18:30~20:30
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ミシェル・ルグランその活動の軌跡[1[』

2012年に生誕80周年を迎える作曲家ミシェル・ルグランの活動をジャズ、映画音楽、提供曲など全てのジャンルを網羅しながら時系列に沿って辿る集中講座(全5回)。第1回はデビューから60年代初頭までの活動を振り返ります。

2012年3月17日(土)18:30~20:30
『生誕80周年記念集中講座:
ミシェル・ルグランその活動の軌跡[2]』

第2回は「シェルブールの雨傘」を中心に貴重なデモや関連楽曲を映像と共に紹介。

池袋コミュニティ・カレッジ
(豊島区南池袋 1-28-1
西武池袋本店別館 8・9階)

●受講お申し込みに関する詳細は、 池袋コミュニティ・カレッジHPをご覧ください。
また、お電話でのお問い合わせは、03-5949-5486まで。
濱田高志(ハマダ タカユキ)
音楽ライター兼アンソロジスト。これまで国内外で企画・監修したCDは300タイトルを数える。現在は「イージーリスニング・ステーション」(USEN)の選曲や「エキスポ・ジェネレーション」、「濱田高志のトレジャー・ミュージック」(STAR digio)のパーソナリティを担当。ミシェル・ルグランからの信頼も厚く、世界初の公認本「ミシェル・ルグラン風のささやき」(音楽之友社)を執筆したほか、「コカ・コーラCMソング データブック」(ジェネオン)「Love Sounds Style読本」など編・著作多数。2007年、ロジャー・ニコルス&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ『フル・サークル』をコーディネイト。

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濱田高志ロングインタビュー
(2007年2月掲載)

濱田高志 監修・選曲・解説
「TV AGE」シリーズ公式HP


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