何人ものジャズファンが彼女に向けて口にしたであろう「ウェルカム・バック!」という言葉。紋切り型だとは思いながら、私もついそう言ってしまうのは、新作『バロック』の完成度が高いからに他ならない。
93年『WOW』でデビュー。麗しさと同時に、力強さにも溢れた彼女のプレイは、瞬く間に多くのジャズファンの耳を虜にした。以降、ピアニストとしての名声は高まる一方で、オリジナルアルバムもコンスタントに発表。日本人で初めてニューヨークの名門ジャズ・クラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」に出演したり、ジャッキー・マクリーン、フィル・ウッズといったレジェンドたちとも共演盤を残したりと、押しも押されもせぬ存在になっていった。ところが、2000年の春、突然の活動休止宣言。それは日本のジャズ界に、ぽっかりと大きな穴が空いたことを意味した。
演奏活動の再開は07年から。昨年にはアルバム『Musical Moments / 楽興の時』を発表。そしてこのたび、レーベルを名門ヴァーヴに移籍して『バロック』をリリース。かつて共に研鑽を積んだミュージシャンたちと、プロとしてのキャリアをスタートさせたニューヨークで創り上げたのである。その意味は、深く考えるまでもないだろう。
譜面にあった休符パートは、もう過ぎ去った。あとは、びっしりと音符を書き込んでいくだけだ。
-- 今回はジャズの名門レーベル「ヴァーヴ」からのリリースですね。
このレーベルの、オスカー・ピーターソン『ザ・トリオ』というライヴ盤が大好きで、かなり聴きましたね。ジャズを始めたころのことです。今でもよく聴きますよ。
-- そういった先人たちについて言えば、大西さんは、ジョー・ヘンダーソンや、ジャッキー・マクリーン、フレディ・ハバードといった、今や惜しくも鬼籍に入ってしまったジャズ・ジャイアンツたちと共演され、多くのことを学ばれたと思います。そうしたジャズのエッセンスを継承しながら、常に新しい試みをされているように感じるのですが。
でも、新しいことを狙っているわけではありません。そうした方たちとは違って、いろんな音楽を聴いて育ってしまった私たちが演奏する音楽ですから、必然的に違うものになるということだと思います。
-- このことは、実は終盤にお訊きしようかと思っていたんです。私はジャズというフォーマットにおける「新しさ」について、常々考えています。若手ミュージシャンの演奏なのに、まったく新しさを感じないときもありますし、もちろん逆の場合もあります。新しければ良いというものではないですが、大西さんの音楽に新しさ感じるというのは、いったいどういう背景があるんでしょう?
1920年代にスイングが興り、40年代にはビバップが出てきて、その後ハードバップの時代がやってきます。それからモードやフリージャズが流行り出すといったように、もの凄いスピードでジャズは進化しました。70年代に電気を入れ始め、やがて80年代になったときに、じゃあ、一体何をしようか、ということになったんだと思います。その際に、伝統的なジャズを目指すウィントン(・マルサリス)が登場しました。
もう一方で、既に盛んだったラップやヒップホップをジャズに取り入れる試みも始まりました。いわゆるM-BASEというジャンルです。ちょうど私がアメリカに行っていた頃に、それら両方が勢いを持っていたんです。それは、ジャズという音楽自体がクローズアップされていた時期でもありました。学生だった私たちは、ウィントンたちがやっているようなことを、来る日も来る日も真似していました。アクロバティックにリズムを分解したり、どれだけ違うブルースが作れるかを競ってみたり…。
そしてニューヨークで仕事を始めたら、今度はM-BASE系のミュージシャンからも声がかかるようになったんです。こっちは、コンピューターを使ってリズムを刻むゴーゴーなど、全然ジャズではないものでした。ジョー・ヘンダーソンたちと演奏しているジャズを、そこでは弾いてはいけないんです。でも、他のピアニストと同じことを演奏しても面白くない。そうしたことを体験できたのが大きいかもしれません。ただ、やはりベースにあるものは、ビバップやハードバップです。
-- なるほど。その時期に研鑽を積んだ仲間たちが、今回のアルバムに多く参加していますね。
そうですね。みんな同じ時代に演奏している仲間です。体験していることも似ています。
-- そうやって、若き日に丁々発止したメンバーは、いまやそれぞれがリーダーアルバムがあるほど、ビッグネームになっていますね。
ジャズを知っている方には、よくこれだけのメンツが集められたね、と言われます。ニコラス(・ペイトン)やワイクリフ(・ゴードン)は、共演したことはありませんでしたが、昔から顔見知りでした。ジェームス(・カーター)は、ロドニー(・ウィテカー)のアルバムに私が名前を伏せて参加したことがあるのですが、そのときに知り合いました。
-- たくさんのジャズメンの中から、そんな彼らを選ぶとき、何を基準にしましたか?
やはりあの時代を共有した同じ世代であることが重要でした。それと、テーマなど、難しい曲も多いですから、今回はアンサンブルがきちんとできることも基準になりましたね。
-- それと、ロドニーとレジナルド・ヴィールとのダブルベースで演奏される曲もありますね。
二人のベーシストを起用することは、危険極まりないことです。音がぶつかりますからね。でも、テレンス・ブランチャードのバンドにいたこと、カサンドラ(・ウィルソン)やダイアン(・リーヴス)との共演歴もあることなど、この二人は経験してきたことが似ているんです。なので、私が黙っていても、二人が競争して、上手く絡んでくれるんですよ。
-- たしかに、二人の演奏は強烈ですね。
だから、今回のアルバムのハイライトかも知れませんね。
-- それとCDからはバンド全体が、あたかも同じステージの上に立って演奏しているように聴こえてきます。
これはレコーディングエンジニアのジム・アンダーソンのおかげですね。長い付き合いでもあり、私たちのような音楽をリアルタイムで聴いてきているから、何をやりたいかはすぐわかるんだと思います。というか、レコーディングメンバーを聞いただけでもわかるんじゃないかな(笑)。これだけ管楽器がある中で、ピアニストがリーダーとして聴こえるには、どうすれば良いか、例えば、ソロを一番先にとるとか、を私はこれまで考えてきたんです。しかし、今回はそれをやらなかった。でも、ピアノが主導権を取っているように聴こえると、私は思ったんです。それは彼の録音やミックスのテクニックです。
-- これだけの凄腕が集まっていながら、それぞれが役割に徹している様子は、映画や演劇で言えば、集団劇のような感覚ですね。その中で、ピアニストの主人公がいて…
主人公というより、今回は狂言回しです。黒澤明の『どですかでん』が好きなんですが、ああいった登場人物全員が一つの作品を創り上げているようなものにしたかったんです。だから、ソロもみんなに均等に与えたつもりでいます。
-- ところで、アルバムタイトルのバロックですが、どちらの意味でしょうか? クラシックで用いられるバロック音楽なのか、それとも元々の語源である「歪んだ真珠」なのか?
保守的な音楽という意味ではありません。バロック音楽は、ルネッサンスに対して反逆的に興ったムーブメントなんですね。それに歪んだ真珠という意味にも惹かれました。それに、このところ、ロバート・グラスパー(ジャズとヒップホップをブレンドさせたスタイルで人気を博している)のようなジャズピアノが流行っていると思うんです。そんな中で(チャールズ・)ミンガスのカバーがあったり、ビバップのジャムセッションナンバーを収録したりと、作風としては、ジャズシーンの中で久しぶりの感があると思います。歪んでまた立ち返るようなイメージですね。
-- 3曲目の「ザ・スルペニ・オペラ」には、大西さんの恩師でもある、ジャッキー・バイアードから託された譜面をもとに大西さんが再構築したパートも含まれてるそうですね。
随分前の話ですが、彼の家にレッスンのために通っていたんです。彼は、私が見ても、どうやって弾いているんだろうというソロを演奏するんです。それを彼は一応、譜面にしていたんですね。それをあるとき「自分なりに演奏してみたら」といって、私にくれて。そこで今回、この曲の中のピアノソロの部分で使っています。
-- 冒頭はフリースタイル的で、途中、スイングもあり、またラグタイムのような部分も登場します。この1曲で、ジャズのさまざまな断片が聴けて、19分にも及ぶ演奏ですが、あっという間です。そして、1曲目の「トゥッティ」から、リスナーの心はガシッと掴まれるようです。
そうですか? 私はまだ弱いような気がするんですが(笑)。
-- それに加えて「ザ・ストリート・ビート」もストレートアヘッドで熱い演奏です。それらの間に「スターダスト」や「メモリーズ・オブ・ユー」といった静謐なナンバーもあり、アルバム全体が起伏に富んでいるのも印象的でした。
「ザ・スルペニ・オペラ」(三文オペラ)と皮肉っぽいタイトルの曲もありますが、アルバム全体を通して、リスナーの皆さんがさまざまなストーリーを想像していただけたらなと思います。できれば、曲順をシャッフルしないで聴いて欲しいですね。
-- さて、今回のアルバムで完全復活と考えてよいと思います。復活を待っていたファンはもちろん大勢います、私も含めて。しかし、そこだけでなく新しいスタイルで、新しいリスナーにアピールしていこうという考えはありましたか?
いえ、それを考えたらダメだな、と意識的に思うようにしました。私は、叩き上げの世代なんですよ、運良く。今は、叩き上げができないんです。というのも、叩いてくれる方々がみんな亡くなっているから。だから私は叩き上げられた最後の世代で、ラッキーなんです。その部分は一生、宝として持っていきたいんです。だからといって、いつも同じ音楽を演奏するわけではないですが、そこはコアな部分として大事にしていきたいと思います。
<インタビュー・文 / 中林直樹>




