サロン・ミュージック Special Interview

サロン・ミュージック Special Interview

81年にデビューして以来、日本だけではなく、海外のアーティストにも大きな影響を与えてきた、吉田仁と竹中仁見のユニット、サロン・ミュージックが9年振りの新作『スリープレス・シープ』をリリース。彼らの原点ともいえるポスト・パンク的なサウンドに、ブルックリン・シーンを始めとする最近の音のフィーリングも加わった本作は、サロン・ミュージックらしいオルタナティヴでポップな仕上がり。いまも変わらないサロン・ミュージックの魅力とは何なのか。フリッパーズ・ギターやコレクターズ、シスター・ジェットなど、様々なバンドを手掛けてきたプロデューサーしても知られる吉田仁に新作について話を訊いた。


-- 9年振りの新作ですが、アルバムの制作に取りかかったのは、いつ頃からですか?

2年前くらいかな。予定していたセッションが一ヶ月半くらいズレたことがあって。それくらい時間が空かないと、〈よし、作るぞ〉という気持ちにならないんだよね。それで3曲くらいスケッチ的に作ってから、仁見さんに〈サロンやろうと思ってるんだけど〉って言ったら、最初は全然乗り気じゃなくて(笑)。でも、音を聴いた後に、〈こんな感じならやっていいかも〉って。

-- 仁見さんのほうは、あまりサロンのことは考えていなかったんですね。

もともと僕の何倍も音楽を聴く人なんだけど、ある時突然、〈自分は義務で聴くようになっているんじゃないか?〉って思ったみたいで。それで一旦、自分の意志で音楽を聴くのをやめて、自然に耳に入ってくるものだけを聴こうと思ったみたい。例えばTVの格闘技で入場シーンでかかる音楽とかね(笑)。そこから、また自分で音楽を聴くようになってきたのが2年前だったみたいで、タイミングは良かったんだよね。

-- 最初のスケッチのような3曲を作ったときは、仁さんのなかで新作のサウンドや方向性はぼんやりとあったんですか?

最初に〈なんか書こうかな〉と思ったときに思ったイメージが、さらに遡ること3年ぐらい前かな、80年か81年ぐらいに徳間ジャパンから出た『クリア・カット1』っていうレコードを、新宿のユニオンのセールかなんかで、帯び付きのすごいきれいなやつを見つけたんです。カセットにコピーはしていたんだけど、レコードで聴くのは久しぶりで。それで、やっぱりこれはすごい好きだと思って。ちょうどサロンを結成した当時も、2人で夢中になって聴いてたアルバムだったんです。それで、その『クリア・カット1』に入ってるような曲を作りたいと思って。

-- 『クリア・カット』といえば、ジョゼフ・Kとかレインコーツとか、ラフ・トレードの音源を日本独自企画でまとめた編集盤ですよね。確かに今回のアルバムは、ポスト・パンクっぽい感じがあります。

最初の頃は、もっとスカスカのドライな感じのサウンドだったんだよ。でも、あまりにも80年代っぽすぎるなと思って(笑)。そうこうしてるうちに、ブルックリン系のアーティストとか、最近の音に影響を受けるようになってきた。結構、早い段階で仁見さんはそういうのにしたいって言ってたのね。仁見さんは、MGMTのリヴァーブ感だとか、サイケデリックな感じを入れたりしたいって言ってたんだけど、僕は最初のイメージがあったんで、しばらくは頑に〈いや、ドライにしたい〉って言って結構やりあってたんだよね。でも、フリート・フォクシーズの新しいのを聴いて、完全にそっち(最近の音)にしようと(笑)。

-- 仁さんの感じる今の音の空気感ってどんなものですか?

なんだろう? いろんな時代のものがそこに一緒くたにあって、でもそれをうまくマージしてるっていうか、60年代感と80年代感とかが分離していない。それでいて、一体の鳴り方がちょっとカジュアルな感じで、軽やかに融合されている。重苦しい曲でも、意外と軽やかに融合されてるんだよね。

-- サロンの新作も80年代と今の音が分離せずに溶け合ってますよね。ちなみにアルバム収録曲のなかで、いちばん古い曲は?

“WAKE UP SISTER”かな。あのコーラスみたいなのも最初からあって、それが自分達のなかではすごい新鮮だった。でも、最初に作った曲だから、途中から新鮮味がなくなってきて、途中で放っておかれてボツになりかけてた曲だったのね。で、アルバム制作の最終段階で、最後に勢いのある曲を入れたいなと思って、その時に久々に聴き直してみたら、この曲が急に新鮮に思えてきた。それで復活させたんだよね。その段階では、アルバムは打ち込みだったんだけど、これを入れるんだったら、やっぱり生(のドラム)がいいなって思って、それを仁見さんに言ったら〈ずっと前から生がいいって言ってるでしょ!〉って(笑)。

-- ほかの曲も全部打ち込みだったんですか?

そう。でも、その時にやっていた打ち込みって、普通にキーボードでやるようなものじゃなくて、ファイルをいろいろ加工してアニメーションを描くように作ったドラミングだったんで、かなり時間がかかってたの。その労力を思うとボツにするのが忍びなくて。ずっと〈このまま打ち込みでいく〉って言ってたんだけど、最後の最後で自分が〈生にしたい〉とか言い始めた(笑)。それで結局、ほかの曲も生に差し替えようってことに。

-- 全部生に差し替えたということは、アルバムの表情も変わってきますよね。

結構、変わったね。結局、最初の打ち込みっぽいのでやってるのって“BEDROOM”ぐらいかな。あとは完全に生に差し替えた。

-- サロンの音って、すごく作り込まれてるんだろうと思うんですけど、出来上がった音を聴くと、そんなにゴテゴテした感じがしませんね。

それはブライアン・イーノとかに影響を受けてて。音を作って行く過程のなかで、どんどん選りすぐっていって、選ばれた音が残っていくんだけど、選ばれなかった音も含めて全体ができていると思ってるんで。実は複雑なんだけども、でも、最終的に聴こえるのはシンプルなもののほうが聴いてる人にイマジネーションを与えられる余地があると思うんだよね。

-- エレクトリックなサウンドの処理の仕方も個性的で、どこか暖かみがあるというか。仁さんのなかでエレクトリックな音やテクノロジーに対するアプローチの仕方で気をつけていることってありますか?

エレクトリックなものを使っても、オーガニックな感じっていうか、暖かみがある感じってあるじゃない? 例えばクラフトワークとかラ・デュッセルドルフのシンセの使い方とか、ステレオラブとかもそうだし。あと、アコースティックな楽器をエレクトリックに処理するのも好きなんだけど、それも冷たい感じにするんじゃなくて、むしろ暖かみを増すためにそれを使うっていうか。アコースティックな音とエレクトロニックな音が有機的に混ざり合う感じにはしているね。

-- サロンがデビューした81年頃はテクノ/ニュー・ウェイヴ全盛期でしたが、やはりシンセの音色は新鮮でした?

そうだね。シンセサイザー自体にすごい憧れがあった。大学は入りたての頃かな、池袋の西武美術館の下に「ART VIVANT(アール・ヴィヴァン)」っていう、現代音楽とか芸術書とかを売ってた店があって、そこがすごい好きで、しょっちゅう行ってたんだけど、そこのショーケースに〈EMS〉のシンセが百何万とかで売ってて。当時ブライアン・イーノとかが使ってたやつなんだけど、すっげえカッコいいなと思って。そういうのに憧れていた世代なんだよね。だから、サロンを組むちょっと前に、僕は〈JUPITER 4〉っていうシンセを買って、仁見さんはそれより前に〈MS20〉っていうのを買ってた。だから、最初から身近にシンセがあって、YMOとかプラスティックスとか、日本のバンドにもすごく刺激を受けて自分達でも音楽をやり始めたんだよ。

-- そして、サロン・ミュージックとして活動しつつも、90年代に入ると、仁さんはフリッパーズ・ギターやコレクターズなど、いろんなバンドのプロデューサーとしても活躍されるようになります。プロデュースをする時に、心掛けていることって何かありますか?

まずは、そのバンドの文化的な背景とか音楽的な背景や、メンバーそれぞれの性格も含めたパーソナルな部分、プレイにおける力量とかを自分のなかで掴むことかな。それはバンドの過去の音源を聴くというより、最初のリハだったりとか、プリプロだったりとか、そういうところで掴んでいく。

-- そのなかでバンドの全体像が見えてくる?

そうだね。同じようなタイプのギタリストはいるけど、同じギタリストはいなくて。やっぱり性格も違うし、アプローチの仕方も微妙に違う。あと、同じバンドでも1年経ったら変わってるってことがあるから。本人の嗜好とか、雰囲気とか、いろいろとね。だから、アルバムごとに新しいセッションのつもりで挑むようにしている。

-- 90年代には〈渋谷系の父〉なんてふうに呼ばれたこともありましたけど、そんあ仁さんから見て、今の日本のロック・シーンはどんなふうに映りますか?

すごくいいバンドも増えたし、エレクトロ系とかでも面白い人も増えたとは思う。でも、たまにテレビの登竜門的な番組に出てくる若手バンドを見ていると、僕がいつも仕事してるような連中に比べて、音楽のボキャブラリーっていうか蓄積が足りないような気がする。

-- 音楽的ボキャブラリーの足りない?

なんか似たような感じのバンドが多いっていうか。個性的だとか言われていても、そこまで個性的かな? っていう。なんか過去にに売れた日本のバンドのスタイルをなぞってるだけ?みたいな。

-- なんで、そうなんだと思います?

わからないね。あえて、そうやっているのかもしれないけど……。

-- サロンが登場した時のシーンって、時代の転換期でもあり、ほんとに強烈な個性のバンドがひしめていましたよね。

ポスト・パンクが生まれた時も、ニルヴァーナが出て来た時も〈オルタナティヴ〉っていう言葉が使われたけど、その時はほんとに革新的なサウンドだったと思うんだ。でも、今は〈オルタナ(ティヴ・ロック)〉っていうジャンルになってしまった。サロンはジャンルじゃなくて、もともとの意味合いでのオルタナティブなことをやっているつもりなんだよね、今でも。

-- そのオルタナティヴな精神を貫きながら、これからも新作を出して行きたいという気持ちはありますか?

いやあ、今回は作り終わるまで本当に大変だったんで、しばらくは次の事を考える余裕はないですね(笑)。

-- 久しぶりにアルバムと格闘した?

そうですね。だからこそ手応えを感じているけど。最後の数週間、やっぱりほんとに丁寧に、粘りに粘って、念には念を入れてやってたんで。プロデュースした作品にも言えることなんだけど、音として残るものっていうのは、それがある限り、それが良いものであればあるほど、ずっと聴かれていくわけで。ってことは、いつまでたっても批評の対象になるものじゃない? それに対する責任というか、いつまでもそれに耐える時代を越えられるものにはしたい。そういうことを、今回はすごく思いながら作ったから。震災以降ということもあったかもしれないけど、〈やれること、今できることすべてやろう〉っていう感じで作ったアルバムなんだよね。

 

 

<インタビュー・文 / 村尾泰郎

 

 

 

 

Sleepless Sheep
『Sleepless Sheep』
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Felicity
PECF-1034 / ¥2,500(tax in.)


収録曲
1.SLIDER
2.IT’S A LITTLE THING
3.BEDROOM
4.MY STRUGGLE
5.TELL ME YOUR THOUGHTS
6.SIGNS OF WATER
7.RAINCOAT
8.JUST IN THE SUMMERTIME
9.IMMATURE CREATURE
10.RAINSTORM
11.WAKE UP SISTER

サロン・ミュージック

吉田仁 竹中仁見 1981年、英国SOUNDS誌ジャパニーズテクノポップチャートで、セルフレコーディングのカセットテープ‘hunting on Paris’がNo.1に。82年、英国フォノグラムレコードよりリリースの‘Tokyo mobile music’に収録され、のちにシングルカットされる。 1982年カセットマガジンTRA #2に参加。この頃は、六本木ink stickで定期的にライブを行っていた。83年、CM曲のシングルをリリース。同年ファーストアルバム‘my girl friday’。84年高橋ユキヒロ氏プロデュースのセカンド‘la paloma show’。渋谷公会堂でライブ。89年英国の映像作家アンディG.とアランF.P.のスライドとのコラボライブpsychic ball night。2000年ヨラテンゴ、2001年スパークスのオープニングアクト。90年頃から吉田仁は他のアーティストの作品のプロデュースやミックスを多数手がけている。平行してtrattoriaからアルバム6枚リリース。現在まで13枚のオリジナルアルバム、各レコード会社編集のベスト盤(98年のgirls at our tratt's best! は新録やremix入り)をリリース、15枚のコンピレーションアルバムに参加。 2011年11月16日 9年振りのアルバム‘Sleepless Sheep’をFelicityよりリリース。

オフィシャルHP
http://homepage3.nifty.com/salonmusic/

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