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特集 35年目のSHEENA & THE ROKKETS 鮎川誠 Special Interview

特集 35年目のSHEENA & THE ROKKETS

鮎川誠 Special Interview

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シーナ&ロケッツ「Ride the Lightning」ミュージックビデオ

シーナ&ロケッツが6年ぶりとなるニュー・アルバム『ROKKET RIDE』(18作目!)を発表。9月13日には日比谷野外音楽堂でワンマン・ライブも行なわれる。
結成から35年。いつだってピカピカにブランニューなロックンロールを響かせてきた彼らは、どのようにスタートをきり、どのように転がっていったのか。全てはとても語り尽くせないだろうが、その歴史の一部を鮎川誠に語ってもらった。
シーナが歌い始めた頃のこと、細野晴臣がプロデュースしてYMOがバックアップした初期の傑作『真空パック』のこと、山口冨士夫やジョニー吉長との思い出、それにもちろん新作『ROKKET RIDE』のこと……。愛と情熱とロックンロールという生き方がここにある。

――結成35周年なんですね。どんな感じですか?  「もう35年」なのか、それとも「いつのまにか35年」なのか。

いつのまにかですね。そりゃあ、「死ぬまでやるぜ!」とはね、訊かれたら言うけれども。こんな気持ちいい世界だから、しがみついてでもおりたいちゅう感じで。まあでも、「35年、あっそう」ってところもありますね。ただ、こういう区切りのいいときには、押し売り的でもいいからみんなに祝ってもらおうと思って(笑)。周年がつくまでやってこれたのは僕らにとって誇りだし、メンバーはいつも仲良くて、集まったら35年分の音をすぐに出せる。元気にやってこれたことがありがたいですね。

――僕がシーナ&ロケッツを聴くようになったのはまさしく34~35年前なんです。高1のときにライブを観てやられて、『真空パック』は発売日に買ったんですよ。

ほんとにぃ?  凄いね。アンテナ、ビンビンやね。

――いろんなロック・イベントに出てましたよね。RC(サクセション)と一緒に出ることも多かったですし。

ですね。

――渋谷公会堂でRCと一緒に……。

うん。BOWWOWと3組で一緒にやったやつね
(1980年2月28日に渋谷公会堂で行われた『ROCK WILL POWER』)

――はい。それを観たり、あと武道館で……。

プラスチックスとRCと一緒にやったね。
(1980年8月23日に日本武道館で行われた『ポップン・ロール300%』)

――ええ。そういったライブの記憶が僕の中では鮮明に残っているものですから、そう考えると34~35年というのはあっという間だなと。

ホントにそうだよね。人生なんてあっという間。

――いま僕がちょっとほかのバンド名を出しただけで鮎川さんもすぐにピンと来られたようですが、あのときはあのバンドと共演したとかって、わりと覚えてるものなんですか?

ものすごく覚えてます。そういえばこの間、(元)サザンオールスターズの大森(隆志)くんと30年ぶりぐらいに会ってね。横浜のライブを観に来てくれて、打ち上げでも話したんだけど、彼はまだアマチュアの頃に宮崎の大きなコンサートでサンハウスの前座をやってくれたことがあって。それは天神山のコンサートで、午後から大雨になって、急遽市内のトゥモローというライブハウスに移ってやることになったんですよ。そのことを大森くんに話したら、彼はそのライブハウスに普段から入り浸っていたにも関わらず、それを忘れとって、僕の記憶力のよさにビックリしてましたね(笑)。サザンは78年デビューだから、同期なんです。「勝手にシンドバッド」が出たのが78年6月で、僕らの「涙のハイウェイ」が10月だから。

――そうでしたね。いや、それにしても『真空パック』を買って聴いたときは驚きました。それまでライブで観て聴いてきた音と、あまりにも違っていたので。

いきなり「バットマン」のテーマから「ユー・メイ・ドリーム」やからね。でも次の「センチメンタル・フール」はせーので録ったし、「オ・マ・エ・ガ・ホ・シ・イ」も一発録り。で、最後が「ロケット工場」ちゅう教授(坂本龍一)の曲で。YMOのテクノポップの色もずいぶん出とったけん、確かに戸惑う人も多かったかもしらんけど。僕らもね、「ねえねえ細野さん、これ、みんな心配すると思うけど」って最初は言ってて。オレたちフォー・ピース・バンドで、ギターとベースとドラムとヴォーカルで飛ばしよるのに、こんなアルバム作っていいのかなって、ちょっと揺らいで細野(晴臣)さんに相談したんですよ。そしたら「いや、大丈夫だよ」って(笑)。「なんでもやってみようよ。ライブはこういうのはできないけど、レコーディングはなんでも試せるんだから、試してみようよ」と。もうその一言でふっきれて、やってみたら最高に面白かったですね。

――でも最初は少なからず抵抗もあったんですね。

ファンの人たちを戸惑わせるんじゃないかという思いはありました。「1,2,3,4!」でやる僕らのレコーディングのスタイルはサンハウスのときからできてましたからね。基本的にはベーシック・トラックで作ってしまうっていう。それがサンハウスの頃からのやり方だったから。でもそういう意味で言うなら、僕らの得意なことは『真空パック』に全部入ってるんですよ。

――ああ、そうですよね。せーので鳴らすロックンロールが基本としてある上で、ああいうテクノポップ的な音の遊びがあったわけで。

うん。要するに「ユー・メイ・ドリーム」と「レイジー・クレイジー・ブルース」だけは、細野さんが「鮎川くん、僕らにトラックを作らせてくれる?」って言ってきて。あとはバンドで一発録りした音をベースにオーバーダブしていくやり方。「ユー・メイ・ドリーム」と「レイジー・クレイジー・ブルース」にしても、村井邦彦さんが音羽に持ってたスタジオで相当リハーサルをやって、細野さんも何度も足を運んでくれて、事前にイメージを作ってくれてて。最高のプロデューサーですね。シーナともよく言うけど、あのとき細野さんにプロデュースしてもらうことができたのは、最高に嬉しかった。

――細野さん自身もきっと楽しかったんでしょうね。土台がブルーズにあるロックの人たちと、そうやって新しい音を作るというのが。

面白かったんでしょうね。アルファもまだ生まれたてのレコード会社だったし、あの頃はA&Mからスクイーズやらポリスやら、パンクやニューウェイブの面白いサウンドがどんどん入ってきてたし。レコーディングがまだアナログの時代やったから、スタジオにそういうLPを積み上げて、いろんなの聴きながらその音を参考に演奏したりとかしてましたね。

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