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特別企画 History of Char 1955~2015  デビュー前から還暦イヤーとなった2015年までの全てを語る

特別企画 History of Char 1955~2015 

デビュー前から還暦イヤーとなった2015年までの全てを語る

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《History of Char 1955~2015》
Special Interview 『ROCK十』/『“ROCK 十”Eve-Live at Nippon Budokan- 』
インタビュー/文:内本順一

 

h.honda

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11月27日に『“ROCK+”Eve-Live at Nippon Budokan-』をリリースしたChar。musicshelfでは3回に亘ってCharのヒストリーを辿るインタビューを公開するが、その1回目となる今回は、2015年5月に発表したアルバム『ROCK+』の話と、翌6月に行われてこの度作品化された武道館ライブの話をたっぷりとお届けする。Charはアルバム『ROCK+』と武道館ライブで何を実感し、何をつかんだのか。早速話を聞いていこう。

――2015年は還暦アニバーサリー・イヤーということで、久々の新作『ROCK+』があり、武道館ライブがあり、野音のフリーライブがありと、かなり精力的に動かれた年でしたね。『ROCK+』というタイトルじゃないですけど、それこそいくつもの「プラス」を得た年だったんじゃないですか?

そうだね。還暦とはなんぞやってところから始まって、まあ十二支が5回まわって60で一周するという中国の数詞なわけだけど、要するに生まれ変わるってことじゃん。で、1ではなくてゼロになるっていう感覚はこの先二度とないわけで。60年生きて、生まれた年に戻るってことだからね。だからまあ、「よくここまで頑張りましたね」っていう。自分にその心構えとか思いがあったからこそ新しいことに挑戦できたし、またそれを迷いなくできたんだと思う。それは全部、2年前の58歳から考えていたことだし、ある意味ではその企画を完遂しただけなんだけどね。予定外だったのは石やん(※)のことぐらいで、本当にこの12人(『ROCK+』で曲を書いてプロデュースした12人)にしてよかったなって思うし。
(※)石田長生。2015年7月8日に永眠。

――新しい何かをプラスしてくれる最高の12人だった。

うん。十二支・12人を選ぶにあたって、例えば子(ねずみ)年だけでもたくさんの知り合いがいるわけだけど、やっぱりオレとしては、若かった頃に「お前は目立ちすぎだ!」ってオレをクビにした泉谷しかいないよなって思ったし(*泉谷しげるがエレックレコード在籍時代、ギターを弾きにきたCharを上手くて自分より目立っているという理由でクビにした)。彼にはすごくロックを感じるんだよ。そこらのロックバンドなんかよりもよっぽど泉谷ひとりのほうがロックなんだよな。

――僕は確か1977~78年くらいだったかに泉谷さんとCharさんがジョイントライブをやったことを覚えているんですが、そのときは泉谷さんが登場すると男性客たちの「うお~っ」っていう低い声が凄くて、Charさんが登場すると今度は女性たちの「キャ~っ」っていう黄色い声が凄くて。でもその当時から泉谷さんはCharさんの内面の男っぽさを買っていたし、それをもっと引き出そうとしていたように感じたものでした。

そうなんだよね。出そう出そうとしてくれたんだよ。

――で、アルバム『ROCK+』の泉谷さんの曲(「カタルシスの凱旋」)を聴くと、泉谷さんはそこでもまさにそれをしていて。

うん。

――Charさんに「うぉー、うぉー」って歌わせている。Charさん、自分だったら「うぉー、うぉー」なんて絶対に歌詞に入れないし、歌わないでしょ?

歌わないね。

――「今の時代を越えてやる」なんてふうにも自分じゃ書かないでしょうし。

絶対書かない。だから泉谷は文学的だし、哲学があるし、やっぱり尊敬すべき先輩だなって思ったしね。いろんなフォークのひととも仕事してきたけど、泉谷は一番ロックだよ。たまたまアコギを持ってるだけで、エレキ持ったら何するかわかんない。あいつがエレキ持ってやりだしたら、もう暴力になるから(笑)。

――そうやって泉谷さんがCharさんのなかの荒ぶる魂を引きだしたかと思えば、福山雅治さんはその逆ですごく抒情的な曲(「7月7日」)を提供している。しかも女性言葉の歌詞で。女性言葉を歌うというのも、Charさんにとって初めてのことですよね?

初めて初めて。カラオケでふざけて女演歌を歌うことはあるけどね。それはどっちかというと得意なほうだけど(笑)

――ははは。あと、松任谷由実さんの曲(「Night Flight」)も、ヴォーカリストとしてのCharさんの新しい面が引きだされたバラードでしたし。

そうだね。ユーミンは「あなた、フラれたことないでしょ?」って言って、フラれた男の歌を書いてきたから(笑)

――あははは。

みんな、いい意味で意地悪してくれたからね。奥田(民生)くんだって、オレが通ってるようで通ってないロカビリーっぽい曲(「トキオドライブ」)をもってきたし。前にブライアン・セッツァーを観て「すっげーな」って思ったんだけど、やっぱりああいうのは簡単そうに見えて実はテクがいるわけで。スリーコードだけど、そこにはきちっとしたビートが必要だったりする。で、彼はそういうのをオレにぶつけてきて。

――民生さんらしいといえばらしいけど、Charさんとしては「そうきたか?!」って感じですよね。

うん。で、(佐藤)タイジはタイジで、ロマンのある曲(「悪魔との契約満了」)を書いてきてくれて。タイジは震災以降ちゃんと行動に出てるロックミュージシャンで、ああやってソーラーで電気集めてやるライブも中津川で成功させて。あいつ自身にロマンがあって、アーティストとしても凄いけど人間としても凄いと思うしね。それからこの12人のなかでは一番新しい友達だったんだけど、宮藤官九郎くんもあんな曲(「チャーのローディー」)を作ってきて、武道館ではしっかり映像まで作ってくれて。

――宮藤さんとはどのように知り合ったんですか?

宮藤くんのバンドのグループ魂に「チャーのフェンダー」って曲があって、もともとは「こういう曲をやりたいんですけど、問題ないですか?」って連絡があり、オレはそれで初めて知ったのね。で、BAHOをやってたくらいだから元々オレはコントは好きで、クレイジーキャッツとかドリフターズみたいなコンセプトがずっと大好きだったし。でも米米CLUB以来そういうふざけたことをやるグループがいなくなったなって思ってて、そういう意味じゃ(グループ魂は)ビジーフォー以来なのかなって(笑)。で、彼らがオレを題材にしてくれて嬉しかったし、それの焼き直しを作るにあたって、「Charさん、ギター弾いてください。で、コントのなかにも入ってください」って言ってきて、それも面白いと思って。

――でも、Charさんがそれを受け入れて、実際にコントまでやられたんだから凄いですよね。

それはやっぱり、パフォーマーとしてちゃんとそこに入りこまないと。役者じゃないけど、それぞれが書いてくるキャラクターみたいなものにちゃんと入っていかないと中途半端なものになるからね。「オレはこういうスタイルだからよ~」じゃ通用しない。通用しないというか、みんな意外とうるさくてさ(苦笑)。最初は「Charさんらしくやってくれれば」とか言っといて、いざ始まるとけっこうみんなダメ出しするんだよ。「できればこうしてくれますか?」みたいな。

――はははは。遠慮がない。

でも、オレはそれを望んでいたから、「いやもう、どんどん言ってよ」って。そうやって12人それぞれがオレのなかのいろんな可能性を引きだしてくれてね。でも正直、石やんがまさかああいう曲を書いてくるとは思わなかったけど。

――というと?

石やんは関西ファンクだったり関西リズム&ブルースだったりってところから始まってるから、そういうのがくるか、あるいはわりと落ち着いた曲がくるかと思ってたんだけど、「ニッポンChar,Char,Char」っていうああいうロック曲がきて。あれ、JLC(JOHNNY,LOUIS & CHAR)の発想だったんだって。

――おおっ! そうなんですか?!

うん。それを(正木)五郎ちゃんに叩かせたらどうなるかっていうのをやってみたかったんだって。

――なるほどぉ。

昔から石やん、ゴロー,.ルイス& チャーを観てみたいって言ってて(笑)。

――確かに観てみたい。

うん。あと、以前、横浜F・マリノスの応援ソングを書いてほしいとオレが頼まれたことがあって、何度も試合を観に行ったんだけど、石やんに「あの応援のときの“ニッポン! チャチャチャ!”って、オレは軽く感じるんだよ」って言ったことがあったのね。で、冗談で「“ニッポン、チャーチャーチャー!”って裏を16にして“カンカン・スコン・カンカンカ・コン”ってリズムにしたらブラジルもびびるぜ」って言ったんだけど、そしたら石やんが「Charはやっぱりオモロイところ見てるなぁ」って。その話題はそのとき限りだったんだけど、それをあいつは覚えてたんだね。それでこういう曲を作ったっていう。だから石やんのなかでは、あのユニゾンもJLCでよくやってた「からまわり」みたいなもので。

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