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シーナ&ロケッツ ライブドキュメント ~マディーウォーターズ生誕100年祝賀ライブ~

シーナ&ロケッツ ライブドキュメント

~マディーウォーターズ生誕100年祝賀ライブ~

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【ライブドキュメント】
~マディーウォーターズ生誕100年祝賀ライブ~
サンハウス、永井”ホトケ”隆、シーナ&ロケッツ

マディ・ウォーターズ。1913年4月4日、米国ミシシッピ州のアイザッキーナ・カウンティという片田舎で生まれた偉大なブルース・シンガー/ギタリストだ。シカゴにおいてエレクトリックギターを使ったバンド・スタイルのブルースを展開し、「シカゴ・ブルースの父」と呼ばれるようになったマディ。深遠かつ陰影に富んだ迫力のヴォーカル、ボトルネックのスライドを駆使した攻撃的なギター、そしてカリスマ性の強いそのキャラクターから影響を受けたミュージシャンは数多く、例えばジミ・ヘンドリックスは「最初に意識したギタリストがマディ・ウォーターズだった。まだガキだった頃、彼のレコードを聴いて死ぬほどショックを受けたのを覚えている」と語ったことがあるし、元ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュも「13歳のときに聴いたマディの音楽でオレは開眼した」と話している。ローリング・ストーンズというバンド名がマディの曲「ローリン・ストーン」から付けられたのも有名な話だ。

因みに僕が初めてマディ・ウォーターズという存在を意識したのは、ストーンズが1977年に出した2枚組のライブLP『ラヴ・ユー・ライヴ』(当時は『感激! 偉大なるライヴ』という邦題がついていた)のエル・モカンボ・サイドと呼ばれるC面1曲目「マニッシュ・ボーイ」で、当時まだ中学生だった故にブルースなんぞは聴いたこともなく、何度も繰り返されるフレーズと妖しくそれを歌うミックの声に「なんなんだこれは?!」と思いながらも次第に引き込まれていったのを覚えている。また、1978年に日本公開されたザ・バンドの映画『ラスト・ワルツ』を日比谷みゆき座に観に行ったのだが、そこで初めて動くマディ・ウォーターズを観て(曲はやはり「マニッシュ・ボーイ」)、よくわからない恐れのようなものと興奮を同時に感じた。
9月12日、下北沢GARDENに集まった観客は、ざっと見渡したところ40代後半から50代くらいの男性が多く、ということは恐らく僕と同じようにストーンズの『ラヴ・ユー・ライヴ』やザ・バンドの映画『ラスト・ワルツ』あたりをきっかけにしてマディを知ったというひとがけっこういたんじゃないだろうか。

自分のことばかり書くのもアレだが、そんな70年代後半頃から僕はRCサクセションやシーナ&ロケッツのライブに足繁く通うになり、後追いではあったがサンハウスにもハマって、83年に日比谷野音で行なわれた再結成ライブ<クレイジー・ダイアモンズ>も観に行った。ストーンズももちろん夢中で聴いていたけど、マディ・ウォーターズはというと確かに『ラスト・ワルツ』の「マニッシュ・ボーイ」でガツンとやられたものの、まだその頃は熱心にアルバムを聴くまでには至らなかった。その凄さ・深さが理解できるようになったのは、もっと大人になってからだ。
だから僕はシーナ&ロケッツやサンハウスの音楽を、当時はマディの曲を知らない耳で聴いていた。シーナ&ロケッツや、とりわけサンハウスの音楽が、いかにマディ・ウォーターズの影響下にあったか。それがわかったのは、ずいぶんあとになってからだった。
例えば「オレはあんたとやりたいから~」で始まるサンハウスの「恋をしようよ」は、ストーンズもカヴァーしたマディの「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」(邦題はズバリ「恋をしようよ」)の歌詞をそのまま引き継いだものだったし(ルースターズの「恋をしようよ」はまたさらにその改作)。「なまずの唄」は「ローリン・ストーン」(昔からあるブルース「キャットフィッシュ・ブルース」のマディ版)から来ていたのだろうし。「風よ吹け」はその題を英語にするなら「ブロウ・ウインド・ブロウ」だし。そもそもサンハウスというネーミング自体、マディが子供の頃に憧れていたブルース歌手のサン・ハウスから取られているわけで、言ってみればサンハウスは、そしてそこから派生したシーナ&ロケッツは、マディのブルースから生まれた子供たちとも言えるバンドだったわけだ。

さて、そんなサンハウスとシーナ&ロケッツ、そしてやはりマディから多大な影響を受けている永井“ホトケ”隆(元ウエストロード・ブルーズバンド、現blues.the-butcher-590213)の3組出演による『マディ・ウォーターズ生誕100年祝賀ライブ 鮎川誠Presents THE BLUES BABY ROCK AND ROLL』。エレクトリックなブルースの息子たちが偉大な父親の生誕100年を祝うといったそのイベントはチケットも早くに完売となり、先にも書いた通り40代・50代くらいの男性客が特に多く集まっていた。DJを担当した山名昇がマディの曲ばかりをかけ、開演前からGARDENは黒くて煙い雰囲気に。そして19時をだいぶ過ぎたあたりで客電が落ちると、まずはシーナ&ロケッツの3人がステージに登場。いつものようにカウントダウンが聴こえ、お馴染み「バットマン・テーマ」で幕を開けた。

Photo by Yoko Sasaki

Photo by Yoko Sasaki

フロアを見渡し、嬉しそうに笑顔を浮かべる鮎川誠。「本当にマディのおかげなんよ、オレたちがロックできるのは。今日は自分たちの曲を全部マディに捧げます」と話し、続いて「ビールス・カプセル」を放った。そして「初代ほら吹きの王様、マディ・ウォーターズ!」と言い放ち、「そんなこと言ったら怒られるかな?」と一言加えた上で「Oh No! I’m Flash(ホラ吹きイナズマ)」を。のっけからの攻めの展開に観客は盛り上がらないわけにはいかなかった……がしかし、どうもステージ上のモニターの返りがよくなかったようで、鮎川は何度もスタッフに調整を求めて指示を出していた。そして4曲目を始める前には、こんなエピソードを。「1980年、初めてマディは日本に来ました。亡くなる3年前です。渋谷公会堂でそれを観たんですけど、1曲目を聴いたら涙がポロポロ出てきて……。そのときの1曲目にやった曲で、(ウィルコ・ジョンソン・バンドを迎えてのセッションで作った自身のソロ作)『LONDON SESSION#1』にも入れた曲を」。そう話してマディの「ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー」を歌い、さらに「マディの出世作となった曲で、1948年……オレが生まれた年に大ヒットした曲」と説明して「アイ・キャント・ビー・サティスファイド」の演奏へと続けた。この曲でのスライドは実になんともしびれるもので、始まって数曲はモニターの返りにしっくりいかなかった様子の鮎川だったが、このあたりからどんどん調子を上げていったように見えた。そして次もマディの曲で「ザ・ブールス・ハド・ア・ベイビー・ゼイ・ネームド・イット・ロックンロール(ブルースの赤ちゃんはロック)」を。このイベントのタイトルの元になった曲でもあり、「オレたちはみんなブルースのベイビーで、ロックンロールだぜ」という鮎川の言葉が核心を突いていた。

続いては「サンハウスのときにマディを聴いて作った曲」と紹介した上で「なまずの唄」を歌ったのだが、このときの川嶋一秀のドラム・ソロは多くのひとを惹きつけるものだった。そしてそこからはシーナ&ロケッツのオリジナル曲を5連発。まずは「いつもはシーナが乗ってるけど、今日飛んできたロケットにはマディ・ウォーターズも一緒に乗ってる!」と話して、昨年発表の最新作『ROKKET RIDE』から表題曲「ロケットライド」を。続いて同アルバムから「ライド・ザ・ライトニン」を荒々しく演奏した。そしてシーナ&ロケッツの代表曲のひとつである「ピンナップ・ベイビー・ブルース」を歌い、続けて「ユー・メイ・ドリーム」も。このとき鮎川は高い声で歌ったり低い声で歌ったりと、自身のなかでキーがしばらく定まらずにいたようだったが、しかし観客の多くがシンガロングして助けたりも。それ、観客と演者との信頼関係が伝わってくる、いい場面だった。そしてシーナ&ロケッツのパートのラストは「アイ・ラブ・ユー」。「いつもはシーナが言いよったけど、今日はオレがマディ・ウォーターズに向けて言います。アイ・ラブ・ユー!」と鮎川が言い、観客みんなも「心を~込めて~アイ・ラブ・ユー!」と歌いながら、スウィートなロックンロールを共に味わったのだった。

Photo by Yoko Sasaki

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