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シーナ&ロケッツ ライブドキュメント ~マディーウォーターズ生誕100年祝賀ライブ~

シーナ&ロケッツ ライブドキュメント

~マディーウォーターズ生誕100年祝賀ライブ~

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【ライブドキュメント】
~マディーウォーターズ生誕100年祝賀ライブ~
サンハウス、永井”ホトケ”隆、シーナ&ロケッツ

Photo by Yoko Sasaki

Photo by Yoko Sasaki

ここで少しだけ時間を置き、続いてはホトケこと永井隆の登場だ。バックを務めるのはシーナ&ロケッツの3人と中山努(PANTAと長く活動を共にしているキーボーディスト)。Tシャツ姿の鮎川とは対照的にホトケはネクタイを締めてスーツ姿でビシっとキメていた。
鮎川がこう説明する。「今回の企画は(高円寺のライブハウス)JIROKICHIの楽屋でホトケと話したことからスタートしました。それからオレと奈良でJ.B.の映画(『ジェームス・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男』)を観に行くときに柴山さんも誘って、帰りに焼肉屋で“サンハウスやるぜ”ち言いよるから、じゃあマディのお祝いをしようと」。
それからホトケとロケッツは次から次へとマディの曲ばかりを演奏。まずは「ウォーキン・ブルース」、そして「アイム・レディ」と続けた。ホトケのそのヴォーカルとギターはマディに対する敬意を持ちつつも真似するではなく、長い年月のなかでそれを自らの血肉にしてきたことがわかる、そんな独自解釈によるものだった。そしてMCでは、次のように若き日のエピソードを混ぜながらもマディ愛を表明。「ブルースを歌い始めたきっかけがマディ・ウォーターズでした。昔、まこちゃん(鮎川)と知り合った頃に住んでたアパートの部屋にマディ・ウォーターズと高倉健と浅丘ルリ子のポスターを貼っていて。そしたら下宿のおばさんに“この黒いひとはなに?”って訊かれて」。また、「ローリング・ストーンズの最初のシングル(「カモン」)のB面の曲です」と説明して「アイ・ウォント・トゥ・ビー・ラブド」を歌ったあとには、今度は鮎川がこんなエピソードを。「マディ・ウォーターズが来日したとき、オレたちは『真空パック』を楽屋に持っていって、それを(マディに)渡したんよ。そしたら“キープ・オン・ゴーイン、キープ・オン・ゴーイン”って2回言ってくれて。嬉しかった。そのときマディが言った“キープ・オン・ゴーイン”ってなんだろうって自問自答しながらずっと生きてます」。一方ホトケは、「楽屋に行ったらマディの横にキレイな女性がいて、“娘さんですか?”と訊いたら、ムッとした感じで“ヨメや”と。そのときマディは60を過ぎていて、奥さんは27歳。ブルースマンとして正しい(笑)」と、そんな話を。因みにこの日ホトケが弾いていたのは、世界に100本限りのマディ・ウォーターズ・モデルのギターだそうで、それについてのユニークなエピソードも紹介していたものだ。

曲は「トラブル・ノー・モア」「フーチー・クーチー・マン」と続き、「フーチー・クーチー・マン」をやる前には「精力絶倫男。それ以外に訳しようがない。僕はフーチー・クーチー・マンと違いますよ(笑)」とも。そして「ブロウ・ウインド・ブロウ」「長距離電話」(←ここでの鮎川のギターソロは聴きものだった!)、さらに「40デイズ&40ナイツ」と続けた。それにしてもホトケのヴォーカル&ギターには渋みと深みの両方がある。そして濃厚でありながら、同時に洗練もされている。blues.the-butcher-590213のアルバムに収録され、シングルでもリリースしたビッグ・ビル・ブルーンジー作の「アイ・フィール・ソー・グッド」は、とりわけそのことを強く伝えていた。また、「ストーンズもカヴァーしている曲です」と言って演奏した「マニッシュ・ボーイ」の“アイム・メーン”の絞り出すような歌い回しを聴きながら、僕はこれほどカッコよく“アイム・メーン”と歌えるヴォーカリストは日本にほかにいないだろうとも確信。最後はマディともレコードを作り続けたジョニー・ウィンターを意識しながら弾く鮎川のギターを前面に押し出しつつ「ローリン・アンド・タンブリン」を歌い、ホトケは「マディに乾杯! シーナに乾杯!」と叫んでステージから去ったのだった。

Photo by Yoko Sasaki

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Photo by Yoko Sasaki

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