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特集 リクオ 『Hello!』 Special Interview

特集 リクオ

『Hello!』 Special Interview

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年間平均130本のライブ活動を毎年続けているシンガー・ソングライターのリクオが、自身のレーベルを立ち上げ、2年ぶりのスタジオアルバム『Hello!』を発表した。ルーツ・ミュージックに根ざした2014年発表の『HOBO HOUSE』~ライブ盤『Live at 伝承ホール』のタッチとはかなり異なり、今作はリクオ流シティポップと言えるところもあるもの。ポップで、開かれていて、とても風通しのいい全10曲だ。このアルバムについてじっくり語ってもらう前に、まずはこんな話から始めてみよう。
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レーベルを作ったのは、自分たちでできることは
自分たちでやろうという発想がまず一番大きいところで

――世界的にダウンロードが主流になってCDが売れなくなり、いまはストリーミングで音楽を聴くのが主流になってきてます。それこそ蛇口をひねれば水が出るみたいな。

そうですね。そうなればなるほど音楽に対するトキメキが薄れていく気がしますけどね。

――そうした変化のなか、お金を払って音源を聴くひとが減少し、それよりもライブという“体験”にお金をかける若いひとが増えました。

ただ、フェスばっかり行くひとが多いですよね。フェスだけでそのアーティストを観た気持ちになって満足してしまうのは、ちょっと残念な気がします。単独のライブにも足を運んで、その場限りの化学反応をじっくり味わってもらえると、また違ったライブの楽しみを体験できると思うんですけどね。フェスはどうしてもパッケージ・ショーになりがちなんじゃないかなって。まあ、偏見かもしれませんけど。

――いずれにせよ体験重視の時代になったことで、ライブ主体の活動形態にシフトするアーティストがすごく増えた。で、リクオさんはといえば、もうずいぶん前からツアーを基盤にした活動をされているわけですが。

そうですね。だいたい年間130本くらいのライブをやる活動ベースを90年代後半から築いてきましたので。

――早かったですよね。ある意味、先駆け的な。

そのひとつの理由は、僕はメジャーの契約が切れるのが早かったんですよ。96~97年にはもうメジャーの契約が切れていたので、印税で暮らしていくという選択肢がなかった。その頃はスタジオミュージシャンとかセッションマンの仕事もやってましたけど、それとツアーミュージシャンのどっちを選択するのかというときに、僕はツアーミュージシャンとしての活動に軸足を置きたい気持ちのほうが強かったんですね。で、そうなると地方も細かく回らないと食っていけない。必要に迫られたところが大きかったんです。

――そうした活動の仕方に、わりとすぐ馴染めたんですか?

地方を回る活動にシフトチェンジした当初は戸惑いもありました。それまでは所謂ファンと呼ばれる人たちの前で演奏することが大半だったわけですが、リクオだかクリオだか、ロックだか演歌だかわからないけど誰か来たぞ……っていうお客さんの前で演奏することになって。でも、それによって芸人として鍛えられたんですよ。だんだん慣れてきて、自分のなかの発想も自然に変わっていった。とにかく来てくれたお客さんに楽しんでもらって、そこで泣き笑いの開放空間を作ろうという発想に自然にシフトチェンジできたんです。そうせざるをえなかったところもあったんですけどね。

――もともと旅することは好きだったんですか?

いや、旅が好きという自覚はまったくなかったです。ただ、自分が好きだった先人のミュージシャンたち……日本だったら70年代から活動されているシンガー・ソングライターやブルース系のひとたちが早くから草の根のネットワークを頼りに全国ツアーするという活動をされていて、そういうひとたちに対する憧れはあったんです。そういうひとたちから影響を受けたところがすごくあった。

――自分も頑張らないとと、奮い立たせた。

奮い立たせるというよりは、音楽活動を続ける上でそういう選択肢があるんだということを自分で知っていったということが大きかったですね。メジャーの契約が切れて、レコード会社から援助金がおりなくなって、事務所から給料がでなくなっても、音楽で食っていく方法はあるなということを知ったという。

――そこからもう20年くらい、ツアー生活を続けられて。

結果的に、特に同世代では、そういう活動の先駆者みたいな感じになってますけど(笑)。でも本当にビックリするくらい、ツアーで食っていくミュージシャン、100人以下のキャパのところをツアーするミュージシャンが増えましたね。昔はイベンターさんの仕切りがあるところでのツアーばかりでしたけど、それとは違う形態です。地方でライブをやれるお店が増えたことと、あと、ライブを企画するひとが増えたのが大きいですね。その地域から音楽を発信しようというひとが増えて、そういうひとたちのおかげで僕たちもやれている。あとは、ネット社会になったことでそういうひとたち同士が横で繋がれるようになったのも大きい。その活動ぶりが、時間差なく沖縄と北海道で共有できるようになったわけです。

――それは大きいですね。

ええ。お金をかけずにある程度宣伝もできるようになったので。

――で、そのようにツアー主体の活動を長くされていて。時代的にもCDよりライブに価値をおくひとのほうが増えたわけですが、そんななかでいまリクオさんは自主レーベルを立ち上げて新作をCDとアナログ盤でリリースする。その意味をどう考えていますか?

僕自身、いまもCDを聴きますし、アルバムを通して聴くことも多い。一リスナーとして未だにそういう立場なので、音楽家としてもアルバムをCD、あるいはアナログレコードという形でちゃんと残して、それを聴いてもらいたいという気持ちが変わらずあるんです。初めに言ったように、情報が多様化すればするほどトキメキが失われていく感覚が自分のなかにあって、そういう時代だからこそ逆にみなさんとトキメキを共有したい。いまはもう、パッケージというのは思い入れがないと買わないものですよね。思い入れの象徴としてパッケージがある。でも、その思い入れの部分を僕は大事にしたいと思うんです。

――ライブ会場でも、お客さんは思い入れの対象として物販コーナーでCDを買う。

ええ。僕のCDの何割かは僕のサイン付きです(笑)。会場の手売りが多いので。ライブでは必ずみなさんにサインさせていただくようにしてますから。クールな言い方をするなら、いまはCDもレコードもグッズになってきてますね。思い入れで買っていく。だからこそ、そのジャケットを見ただけで買いたいなと思ってもらえたり、部屋に飾っておきたいなと思ってもらえるものにしないといけないと思ってます。だから、以前よりむしろ今のほうが、ジャケットの作品としてのクオリティーにこだわるようになりましたね。

――ああ、なるほど。一周まわって。

はい。こういう時代だからこそ、パッケージもちゃんとしたものを作らなきゃいけないなと。

――因みにリクオさんは、ツアー主体の活動でありながらも、アルバムもコンスタントにリリースされてますよね。

そうですね。一時はCD出すの、嫌だったんですけどね。

――あ、そうなんですか。それはメジャーと切れたあと?

あとですね。コンスタントにリリースしてたんですけど、何出しても売れないんで。その度に傷つくわけですよ。毎回毎回ガッカリする。だからもう作るの嫌だなって気持ちになったときもあったんです。あと、やっぱり予算も日数も限られたなかで作らないといけないので、なかなか自分が満足できるものが作れないというジレンマもあった。なので、もう出さなくていいんじゃないかと思った時期もありました。

――その気持ちがどのように変わっていったんですか?

自分に残されてる時間がだんだん限られてる気がしてきて。人生の折り返し地点もとっくに過ぎた気がしてるんで、もう傷つくとか落ち込むとか言ってる場合じゃないなと。ちょっと大袈裟ですけど、これからは1枚1枚を、遺書を残すような気持ちで作っていって、できればあと30年くらい遺書を作って残していきたいという気持ちです。

――それがちゃんと聴き手に届いているという実感はありますか?

そうですね。2010年代に入ってからはまあ、完璧な作品とは言えないですけど、自分がある程度納得できるものをやっと作れるようになった感覚があります。もちろんもっと多くのひとに届いてもらいたいと思うんですけど、聴いてくれたひとからの反応に関しては以前より大きくなってますね。

――ツアーを基盤に活動しているミュージシャンのなかには、自分はライブミュージシャンだからCDはそんなに出さなくていいという考え方のひともいますよね。例えばCHABOさんが去年出したアルバムは13年ぶりでしたし。

ね。選曲がたいへんだろうな(笑)

――ですよね(笑)。そういうタイプのひともいますけど、リクオさんはコンスタントにアルバムを作って出している。レコーディング自体、お好きなんですか?

好きですね。本当はもっとやりたいくらいなんです。もっとレコーディングの環境を整えたいですね。さらにいろんな才能が僕のところに集まるようにしたい。レコードは総合芸術やと思うので。だからミュージシャンだけじゃなく、スタッフも含めて、よりよい環境を作りたいですね。その環境をいろんなひとに提供したり共有したりできるようになればもっといいのになと思いますけど。

――その足掛かりとしてレーベルを立ち上げたわけですか?

いや、そこまでは考えてないです。レーベルを作ったのは、自分たちでできることはなるべく自分たちでやろうという発想がまず一番大きいところで。

――レーベルにしようと思った最大の動機は?

ドゥー・イット・ユア・セルフ、ということです。もっと露骨な言い方をすれば、中間マージンをなるべくなくすという。

――それ、大きいですよね。

はい。それぐらいいまはもう音楽業界のシステムが変わってきてるので。どこかに任せればOKという時代じゃなくなってしまったので。

――レーベルを作るのが一番手っ取り早いということですかね。

それに関してはケースバイケースだと思います。僕も今後、自分の作ったレーベルに固執するつもりはないんですよ。今回はまあ、ひとつの新しい実験というか、トライですね。

――やってみて、どうです?

思いのほかやることが多くて、しんどいです(苦笑)。僕のほかにもうひとりレーベルのスタッフもいるんですけど、ふたりだけでやるのはちょっと厳しいかなって。プロモーションに関しては外部のプロモーターの方にお願いしたりという形をとってはいるんですけど。

――レーベルの特色は、どういったところにありますか?

いや、レーベルとしてのアピールは、正直言って、まだそんなに押し出せないです。まずは自分の作品を出していって、余裕ができたらそこからのことを考えていきたいなと思ってます。シンプルに言えば、自分の出したい作品しか出さなくていいようにしたい。好きなミュージシャンの作品も出せるようになっていければいいなと思ってますけど、まずはその体制を整えないと、っていう段階ですね、いまは。

――レーベル名は今回のアルバム同様、<Hello>。まずはハロー!と出会うことから始まるというような……。

そうですね。アルバムタイトルも含めて、とにかくオープンな空気を出したいなと思ったので。

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