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特集 谷山浩子 祝 還暦 、そして「ひろコーダー☆栗コーダー」

特集 谷山浩子

祝 還暦 、そして「ひろコーダー☆栗コーダー」

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谷山浩子 祝 還暦 SPCIAL!「読む、ファムラジオ」

2016年8月29日、谷山浩子さんは還暦のお誕生日を迎えられました。改めまして谷山さん、おめでとうございます。MUSICSHELF制作の女性シンガーソングライター専門ラジオ番組「ファムラジオ」では、9月14日に発売されたニューアルバム『ひろコーダー☆栗コーダー』についてのお話はもちろんの事、谷山さんの還暦を記念して、10月に谷山さんがデビューをした10代、そして20代、30代、40代、50代の各時代に発表した代表曲を聴きながら、その時代ごとのエピソードを語っていただく特集を放送しました。今回たっぷりとお話頂いたのですが番組時間の都合上、放送できなかったトークも加えて完全版として紹介します。谷山浩子の「読むラジオ」どうぞ、お楽しみ下さい。(長井英治)

~「ファムラジオ」番組スタート~

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1曲目「お早うございますの帽子屋さん」
(1975年2月10日発売)

アルバム『ねこの森には帰れない』より

――本日のゲストは、約1年ぶりの登場になります、ようこそ谷山浩子さんです。(拍手)
この1年間はお元気でお過ごしだったでしょうか?

喉の不調(急性声帯炎)などいろいろありましたけれど、まあ概ね元気でした(笑)今日はよろしくお願いします。

――(2016年)8月29日に還暦をお迎えになられた谷山浩子さん、改めておめでとうございます。お誕生日当日には「谷山浩子 猫森集会 Unlimited ~還暦Birthday Party~」が行われましたね。あれはコンサートとお呼びしてもいいんですかね?

ファンクラブのイベントをちょっとオシャレにして、一般の方にも見ていただこうという趣旨だったので、コンサートとは呼べないかもしれないですね。

――(イベントの)前半は谷山さんのラジオの公開録音でしたね。

公開生収録ということで、なんだ、そりゃという感じですけど(笑)

――生でラジオ収録を見る事ができて、とっても嬉しかったです。

番組中にゲームをやったんですけど、ゲームをやっている時にはすでにラジオ収録という事はすっかり忘れていて(笑)、後で放送を聴いて気付いたんですけど、ゲームの正解を言ってなかったり、あの場にいた人しかわからなかった部分もありました。

――さて今月のファムラジオは、還暦を迎えられた谷山さんの10代、20代、30代、40代、50代の各年代を勝手に区切らせていただいて、その時代の代表曲をご紹介しながら、エピソードをお聞きしたいと思っています。まず1曲目、谷山さんが10代の頃の代表曲で「お早うございますの帽子屋さん」をお聴きいただきました。発表当時は17歳だったでしょうか?

作ったのは16歳で、発売の時は18歳だったかな、この曲でポプコンに出場したのが17歳の時です。

―― 2度目のデビューという事でしたよね?

その前に15歳の時に1回デビューをしています。

――谷山さんの10代の頃というのはどういう少女だったんですか?

私は子供のころから漫画家か作曲家になりたくて、絵が上手くなかったので、12歳の時に漫画家はあきらめたんです。でも、歌はずっと作っていたので、学校の近所にあったキングレコードに行って曲を聴いてもらうようになって、14歳の時に初めて曲を採用してもらいました。ベイビーブラザーズ(のちのフィンガー5)のシングルのB面になりまして、翌年私が15歳の時に、LP「静かでいいな~谷山浩子15の世界~」が発売になりました。キングレコードの方から「LP出してあげるけど、でも自分で歌ってね」と言われまして(笑)

――本当は筒美京平さんのような職業作曲家になりたかったんですよね。

その頃に、日本にもようやくシンガー・ソングライターという言葉が出て来た時期だったので、そういうタイミングだったのかもしれないですね。

――谷山さんは女性シンガー・ソングライターの草分け的存在ですものね。YUMINGや五輪真弓さんよりもデビューが早かったという。

それで「セーラー服のシンガー・ソングライター」というキャッチフレーズをつけられて、すごく嫌でした(笑)。当時の私でさえ「ダサい!」と思いました。

――当時は「嫌だ!」と言えなかったんですか?

レコーディングも希望を言えなかったし、「このアレンジはちょっと・・・」みたいなのも言えなかったです。

――でも、10代前半にして将来を見据えて活動しているってすごい事ですよね。

将来を見据えてたわけじゃないんですよ、これになりたいっていうものがあったので、そこに邁進していただけですね。遊びでやっていた事を、将来仕事にできると一途に思っていたんです。

――素晴らしいですね、そうやってずっと活動をされているわけですから。さて、次は谷山浩子さん20代頃の作品を聴いていきたいと思いますが、20代はアルバムで言うと「ねこの森には帰れない」~「眠れない夜のために」までですね。

歌手デビューをしたのが20歳の時で、つまり歌手になって最初の10年という事ですね。まだ歌手という仕事に慣れていないというか、コンサートが嫌で仕方なかったです。人前に出るのが苦手だったので、お客さんの前に出るのがすごく怖くて、1週間くらい前から胃が痛かったのを覚えています。精神状態も不安定だったので、体調もよく崩していました。嵐のような時代でした。

―― 1982年に開始した「オールナイトニッポン」をきっかけに谷山浩子さんの活動も大きく変わったのではないでしょうか?

ニッポン放送という私から見たらすごくメジャーなラジオ局で、2部とはいえオールナイトニッポンですから、声の出し方からどうしようかなと思いまして。私はマイクに乗らない声というコンプレックスがあったので乗る声を出そうという事で、普段使わない高い声で「谷山浩子なのです」と始めてみたら、それまでのファンの方が若干離れていきましたけど(笑)。「あんなものは谷山浩子ではない」と言われました。そんなこと言われても、「私は私なんですけど」と、思っていましたけれど。

――そんな、谷山浩子さんの転機となったのがオールナイトニッポンをやっていた20代の時だったと思うんですけれど、次は20代の頃の作品をお聴きしたいと思います。前回ゲストでお越しいただいた時に「てんぷら☆さんらいず」をおかけしたので、今日は「風になれ -みどりのために-」をおかけしようと思いますが。

CM曲ですね。「緑の胃薬 新サクロン」のCMで、随分長い期間使っていただきました。

――先日、谷山さんがライブでこの曲を歌われた時に、この曲のタイトルは公募で決まったと話されてましたよね。

最初この曲は「みどりのために」というタイトルだったんですが、シングルで発売するにはタイトルが弱いと言われまして、でもどうしても思いつかなくてオールナイトニッポンで公募しました。それで「風になれ」というメインタイトルになりました。でも、ネットを使えるようになって、検索したら「風になれ」というタイトルの曲が世の中にたくさん存在していることが判明しました(笑)。

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