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特集 伊藤銀次 デビュー45周年とココナツ・バンク

特集 伊藤銀次

デビュー45周年とココナツ・バンク

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「終生音楽に身を捧げていく」とサラリと話す伊藤銀次が素敵だ。
そんな彼がデビュー45周年プロジェクトの第一弾として放ったのが、ココナツ・バンクの完全版『THE COMPLETE COCONUT BANK』。ココナツ・バンクは、70年代初期に伊藤が大阪で活動していた《ごまのはえ》が母体。上京後、大瀧詠一プロデュースによって本格的なデビューをする予定だったが、1973年9月21日に行なわれた《はっぴいえんど》の解散コンサート(‟CITY-Last Time Around”)に出演後、解散した幻のバンドである。今から13年前の2003年、ココナツ・バンク再結成にあたり、6曲入りの1stアルバム『ココナツ・バンク』を発表したが、本作はそこに新たに曲を加え、佐野元春や杉真理ほか豪華ゲストを迎えてフル・アルバムとしてコンプリートさせた作品となっている。
今回、44年の時を経て完成した完全版『THE COMPLETE COCONUT BANK』を中心に、そこに付随した様々なエピソードを伊藤銀次に伺った。彼から繰り出される数々の話はとても興味深いものばかり。ゆえに本インタビューは前編・後編の2回に分けてお届けすることにした。まずは前編から。

自分の音楽人生をひとつひとつきちんと片付けていくというか
それはやっぱり大瀧さんが亡くなってしまったことが大きかった

――よくぞ、《ココナツ・バンク》の完全版『THE COMPLETE COCONUT BANK』を作ってくださいました。まさに感謝の気持ちでいっぱいです!

ホントに!?(笑)。それは嬉しいですね。

――まずは今回のアルバムに至るまでの経緯を教えてください。 

2012年がちょうどデビュー40周年だったんですけど、その時に《ごまのはえ》のシングルから現在に至るまでのそれぞれのレーベルにご理解をいただいて、ソニーから2枚組のベスト・アルバム(『伊藤銀次GOLDEN☆BEST~40th Anniversary Edition~』)をリリースしたんですね。その時に40周年の後、次は50周年だなって考えていたんですよ。だけど、その翌年末に大瀧詠一さんが突然亡くなってしまったでしょ。僕は今、健康に活動しているけど、僕も何が起こるかわからない年齢に来ているんだなってことをその時に強く実感したんですよね。だから、今やれる時に悔いなく何でもやっておこうと思ったんです。そこでね、50周年とは言わずに45周年だったら出来るかなと思って、来年の2017年の45周年に久し振りにソロ・アルバムを出そうと思っていたんですよ。そしたら去年、岩本晃市郎さん(ストレンジ・デイズ)から、「そろそろ《ココナツ・バンク》をやりませんか?」ってお話をいただいたんですね。

――2003年の《ココナツ・バンク》再結成&6曲入りのアルバムに一役買った方ですね。

そうです、そうです。今言ってくれたように2003年に《ココナツ・バンク》のアルバムを出したじゃないですか。実はその時にひとつの計画があったんですよ。リリースしたアルバムは6曲入りだったでしょ。で、その後にもう1枚、同じように6曲入りぐらいのアルバムを出して、それぞれハーフ・ハーフで出した後に、いずれそれを合体させてコンプリート盤として発表する予定だったんです。

――そんな計画があったんですね。

うん。だけど、その時に出していたレーベルが無くなってしまって、その後その企画自体が立ち消えになってそのままの状態になっていたんですよ。そしたら去年、岩本さんから「あの半分のアルバムを作りましょうよ」って。で、当初は6曲ないしは7曲入りくらいのアルバムを作る予定だったんですけど、今お話したように何があるかわかりませんから、とりあえずハーフを作って、前作と合体させたコンプリート・アルバムを作ろうということになり、実現したというのが経緯ですね。

――銀次さんとしては45周年に向けて、このタイミングでの《ココナツ・バンク》のリリースは、いい意味での勢いづけになる感じなのかな、と。

そうそうそう。自分の中で45周年に発表するソロ・アルバムをひとつのピークにもってきて、そこに行くための勢いづけで《ココナツ・バンク》をひとつ完結させるっていうね。ヘンな話、自分の音楽人生をひとつひとつきちんと片付けていくというか、そういう気持ちもありましたから。それはやっぱり大瀧さんが亡くなってしまったことが大きかったんですけど。

――‟自分の音楽人生をひとつひとつ片付けていく”。とても重みのある言葉として響きました。

やっぱりいろいろ考えるところは多いですから。僕はここ8年くらい弾き語り(I STAND ALONE)をやっているんですけど、その前の10年ぐらい…’94,95年あたりからかな、ずっとプロデュースしかやっていなかったからね。僕自身、『LOVE PARADE』(’93年)まで10何枚もアルバムを出しているし、年齢的にも40歳を過ぎていましたから、この先ずっとポップスみたいなことをやり続けていくのがいいのか?それともプロデュース活動に専念するのがいいのか?と迷っていたんです。で、結論として自分自身が納得いくまでいろいろなものを作ったから、これからはプロデュース活動に専念しようと思って、そちらの方にシフトしていったんですよね。プロデュースといっても、単なるアレンジではなくて、自分のアルバムを作るようにアーティストの曲作りから詞のアイディアから何から全部一緒に考えて作品を制作して、それが終わった後ライブにも行って、その作品がお客さんに伝わるようにライブのやり方もアドバイスしながら、という。そういうプロディ―ス活動したいなと思っていたんですよ。

――トータル・プロデュースですね。

そう。いわゆる完全なプロデューサーですよね。それをやりたいと思っていた時にウルフルズの話が来て、全部任せてもらったら成功しちゃって。

――「ガッツだぜ!!」を始め、大ヒットしました。

ええ。そういうやり方で(プロデューサー業を)しばらく10年ぐらいやっていたんですよ。で、杉真理君が僕のいたソニー系の出版社の所属になって、「久々に一緒にライブをやりましょうか?」って杉君が誘ってくれたんですよね。その時、僕は(自分のライブを)10年ぐらいやっていなかったんですけど、杉君が一緒にやってくれるのなら…ってことで、ライブをやったんですよ。僕がプロデュース活動していた間、杉君はずっと歌い続けていたわけじゃないですか。一緒にやった時に彼の歌とか、ステージでの姿勢とか、その全てが杉君ワールドの素晴らしさを見て本当に感動したんです。そこで思ったんですね。僕はもともと歌を歌いたかったはずなのにって。

――そこで改めて今の自分の立脚点を思ったというか。

 そうなんですね。僕はたまたま器用にアレンジとか出来て、アン・ルイスさんとかのヒットが出たから、プロデュース業にシフト・チェンジして行ったけど、<本当はどうなの?歌いたいの?>って、そんな気持ちが出てきて、自問自答するわけですよ。そんな中で「よし!もう一回歌おう!」と思ったんですね。そこからは物凄く練習しました。とにかく杉君と一緒にやった時も10年ぐらいお客さんの前でギターを弾いたことがなかったでしょ?だからなかなか思い通りに行かなくて。

――そういうものなんでしょうね。

うん。現場の勘っていうか…それを取り戻すのが大変でしたね。そんな中で杉君が辛抱強くいろいろとやってくれたので、そのおかげで歌い始めることができたんですよ。だから、勘が戻るのに1年とか2年とかかかりましたね。

――その弾き語りも今の銀次さんの音楽人生にとって大事なものになっているわけですものね。

そうです。もともと僕はバンドのスタイルからスタートしているでしょ。例えば、地方に行く時はバンドだと物凄くお金がかかるっていうのもあるし。いかんせん10年以上歌っていなかったからファンの人も僕が(歌を)辞めていると思っていたみたいで、地方に行ってもなかなかお客さんが集まらなかったりして。でも、それも全部自分のせいだから、辛抱強くやってきてもう8年ぐらいになるんだけど。勘も戻ってきたし、プロデュース業を経過して自分の歌を改めて見つめた時に全然違うってことにも気付いたしね。

――俯瞰で見るというか。

ええ。昔よりもクールに自分の音楽を見られるようになったことが大きいですね。以前はただ思い入れだけでやっていたけど。

――うんうん。

それでだんだんライブが面白くなってきて、そういった時に何か作品を出したいと思っていたら、《ココナツ・バンク》の話が来たんですよね。さっきも言ったけど、来年はソロを出すつもりだったんだけど、その前に《ココナツ》をやろうと決めたわけです。僕は乗りかかった船には全部乗っかる方なので(笑)。

――流れには乗る。

そうそうそう。何でもそうだけど、そういう流れで来ているものは拒まずにやった方がいいという考え方。縁とかね、そういうものに乗った方がいいと思って。逆に何かやろうと思っても何だかいろいろな障害があって出来ない時は止めた方がいいっていう。それはするな!っていうことだと思うから。

――確かにそれは真理ですね。

でしょ(笑)。例え、その時にしなくても潮時が来るとやれる雰囲気になったりするから、それまで待てばいいと思っているので。それは“<ナイアガラ>の教え”なんだけど。

――“<ナイアガラ>の教え”!!!

 そうなんですよ。大瀧さんがキリストだとすると、僕がパウロとかペテロみたいなもので(笑)。

――あははは…キリストに従った彼らのような…(笑)

そうそう(笑)。僕は<ナイアガラ>の一番の弟子ですから(笑)。それでそういう気持ちもあったので(今回のアルバムを)作りたいなと思ったんですよ。本来ならば先に45周年でソロ・アルバムをやるとしたら、それを済ませてから《ココナツ》に取り掛かってもいいんですけど。さっきも言ったけど、何があるかわからないから、元気なうちに作っていかないと!っていう気持ちですね。だから、ここで《ココナツ・バンク》を完成させて、45周年のソロ・アルバムに弾みをつけていくという流れというか。今ね、晩年の僕の音楽人生のピークだと思っているので、そういう意味でも未完だった《ココナツ・バンク》を完成、完結させたいと思ったんです。

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