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s-ken 26年ぶり、7作目のアルバム『Tequila the Ripper』

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26年ぶり、7作目のアルバム『Tequila the Ripper』

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s-kenがニュー・アルバム『Tequila the Ripper』を発表した。1990年作品『SEVEN ENEMIES』から数えて実に26年ぶりとなる7作目だ。全12曲の作詞、作曲、基本アレンジ、プロデュースを手掛けて自ら歌ったその『Tequila the Ripper』は、ニューオリンズ・ファンク、アフロビート、R&B、スカ、ブーガルー、ジャズ、パンク、ヌーベルシャンソンといったさまざまな音楽要素のうま味が煮込まれたアルバムで、つまり“これぞ唯一無二のs-kenサウンド”と呼べるもの。「リズムはファンキー、気分はパンキー」といった感じで、シブいと言うよりは、相変わらず粋でワルくてカッコイイ。小田原豊、窪田晴男ら腕利き揃いのバンド、ホットボンボンズが再集結して半数の曲を演奏しているほか、細野晴臣、トータス松本、竹中直人、竹内朋康、元PE’Zのヒイズミマサユ機と門田“JAW”晃介、東京スカパラダイスオーケストラからの4人、BimBamBoomの前田サラと山口美代子ら大勢のゲストが参加しているだけあって華やかさもあるが、その適材適所の配置はさすがプロデューサー、s-ken。全体通してピシッと引き締まり、そこから大きな物語を感じとることができる。

ニューヨーク・パンクの勃発を現地で目撃し、帰国した1978年に自身のバンド「s-ken」を結成して日本独自のパンク・ムーヴメント〈東京ロッカーズ〉を牽引したs-ken。クラブカルチャーの勢いが増した80年代にはMUTE BEAT、じゃがたら、TOMATOSと「Tokyo Soy Source」をスタートさせ、その後も「東京ラテン宣言」「エスケンのカメレオンナイト」といったイベントをオーガナイズして、CD音源のプロデュースも開始。プロデュース作品は現在軽く100を超え、その過程でMonday満ちる、BONNIE PINK、SUPER BUTTER DOG、クラムボン、PE’Z、中山うり、BimBamBoomといった個性豊かな歌手やバンドを見つけて世に送り出しもした。

新作『Tequila the Ripper』は、そんなs-kenの音楽人生が凝縮されているとも言えるもので、サウンドはもちろんのこと、歌詞とヴォーカルも素晴らしい。本文中でも触れているが、とりわけスポークン・ワードで亡き川勝正幸氏ら友人のことを歌った「千の目、友にはふさわしき贈り物を」とアルバムのラストを飾る「鮮やかなフィナーレ」には今の思いが滲むように表れていて、胸が熱くなる。今年70歳を迎えたs-kenに、この快作についての話を訊いた。

──長い間プロデューサー業に徹していたわけですが、実に26年ぶりとなるご自身のアルバムが完成しました。

気持ちの上では、ブランクはないんですよ。プロデューサーといっても、自分の好きなアーティスト、自分のセンスに近いアーティストを手掛けてきたから。「そんなにブランクがあるようには感じられない」って、ひとにも言われるしね。ただ、そういうふうに言ってくれるのはプロデューサーのような裏方の存在のことをわかっているひとであって、普通のひとはやっぱり「どこ行ってたんだ?」って思ってると思うんだよね。だけど自分の心の中で「いつかやろう」というのは、ずっとあったことで。

──いつ頃からアルバムを作ろうと考えていたんですか?

10年くらい前にs-ken&Hot BombomsのCDがまとめて再発されたんだけど、そのときに「いい加減、自分の新しいのを発表しないと」って思ったんだよね。ユニバーサル(ミュージック)のディレクターに「今こそs-kenさんの音楽を若い人に聴いてもらいたいんです」と言われたりもしたし。で、同じ頃に「レッドシューズ(東京・青山)で80年代のクラブ・シーンを中心にしたイベントをやってるから、ぜひ歌ってほしい」と言ってくれるひとが現れたりもして。そういう要望がその頃からちょこちょこあってね。あと、『ジャバ』(2008年)という童話も出したので、自分が出ていく気分というのはその頃からなんとなくあった。で、それから何年か経って、3年くらい前かな、「あ、オレ、あと数年で70だな」と、ふと思って。まあ、まだ生きてはいるだろうけど、頭はいつまで回るかわかんないからさ(笑)。

──作るなら今だと。

うん。〈ワールド アパート〉を設立したのが1999年なんだけど、5年後くらいから自社のプリプロ・スタジオでサウンド・プロダクションを組めるようになってね。気心の知れたミュージシャンがいて、マニピュレーターがいて、エンジニアがいて、あとは自分さえしっかりしていれば、サウンド・プロダクションはいつでも組める。だから僕のサウンドプロダクションの最終形というか、まとめみたいなものが、自分のアルバムでできるんじゃないかと思って。

──なるほど。アルバム全体のイメージも、作り始める前からあったんですか?

いや、「作る!」って宣言したのはいいんだけど、じゃあ、何を歌おうかと。これは前に内本くんに話したと思うけど、50代とか60代くらいのひとたちがどういうことを歌っているのかって気にしてみたら、やっぱり若い気分で曲を作ってる人が圧倒的に多いんですよ。昔からいるベテランのシンガー・ソングライターのひとにしても、50代なり60代なりの心境をリアルに歌ったものは意外となくてね。で、外国はどうかな?って探したら、外国にはそういうものもチラホラある。あることはある。けど、やっぱり多くはない。それは、もしかしたらみんな恥ずかしいから作らないのかもしれないし、ジジイのラブソングはウケないから……特にJ-POPは若い人のラブソングが主体だから、そういうのがないのかもしれない。わからないよ。わからないけど、僕はそこでウケる音楽を作ろうとは思わなかった。このアルバムに入ってるほとんどは自分が60代後半になって作った曲だけど、亡くなっちゃった友達も多いしさ。そういうこと含めてこの年代なりの喜怒哀楽というものがあるわけで。あと、若いひとに対して何かを託すというような気分もある。メッセージとまではいかないけど……あ、でも、メッセージもあるかもしれないね。世の中に対して言いたいことも、若い頃より多いかもしれない。そういうものが世の中であんまり歌になってないのはなんでだろうって不思議なんだけど、だったら僕は自分の今の思いというものを歌にしたいと思ったんですよ。

──1年前にもこの話をしましたけど、僕もポップ・ミュージックの世界には歳を重ねたひとたちのリアルな思いを表現したものが少なすぎると思っていて。

うん。例えば日本の文学でも海外の文学でも、歳を重ねている人間の悩みとか歓びを表現したものはゴロゴロあるんですよ。映画もそうだよね。音楽以外だといっぱいある。だから僕はそれを歌にしていくという挑戦をしようと思って、とりあえず1か月に1曲ずつ作っていったのね。プロデュースの仕事とか日々いろいろやることがあったんだけど、割り込むようにしてとにかく1か月に1曲は作るようにした。で、14曲できて、そこから12曲に絞ったんだけど。

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