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s-ken 26年ぶり、7作目のアルバム『Tequila the Ripper』

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26年ぶり、7作目のアルバム『Tequila the Ripper』

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──ご自身が歌うために曲を作るという作業は相当久しぶりだったわけですよね。そのへんの勘はすぐに取り戻せたんですか?

この世界には歌が歌いたくてキャリアをスタートさせたひともいるだろうし、ギターを弾きたくてキャリアをスタートさせたひともいる。それぞれだと思うんですけど、僕はもともと曲を作りたくてこの世界に入ったのね。だから曲を作ることに関しては何の抵抗もなく、すぐに入っていける。プロデュースをしながら曲作りに関与した作品もあったしね。

──でも“自分の歌”を作るとなると、またちょっと違いますよね?

うん、違うね。だけど、自分のなかでs-kenとしてのキャラみたいなものはわかっているから。『魔都』っていうs-kenとしてのデビュー・アルバムを1981年に出したんだけど、その時点でキャラは大体かたまっているんだよ。で、1990年に6枚目のアルバム『SEVEN ENEMIES』を出すわけだけど、その最後に入ってる「そしてエル・ドラドへ」って曲は、主人公のs-kenがどっかにいなくなっちゃうって歌で。今回のアルバムに入ってる「オールドディック」って曲は、その男が舞い戻ってくるっていうお話なんですよ。

──ああ、なるほど。

12曲のうち「オールドディック」だけは、10年くらい前に僕のアルバムが再発されたとき、それを記念して作った曲で、そのときはPE’Zが演奏してくれてね。で、その舞い戻ってきた男が今どうなっているのか……っていう発想で、今回のアルバムを作っていったんです。

──つまり、物語は続いていると。

そう。『魔都』を作ったときに、だいたいの自分の気分っていうのはまとまったから。それ以降、音楽性は変化していったけど、気分はあそこからそんなに変わってなくて。だから今回のアルバムは、新しい『魔都』とも言えるかもしれない。

──ああ、わかる気がします。

“氏育ち”ってあるでしょ。自分のそれと表現の世界観とが、かけ離れてるひともいると思うんですよ。本当はリッチなのにうらぶれてお金のないイメージを演じているひともいる。要するに、表現する上でなりきるってことだよね。僕の場合は20代のときにアメリカに行ってパンクとかいろんなことを体験して帰ってきて、その流れで東京ロッカーズを始めるわけだけど、東京ロッカーズのときに初めて“なりきれた”んだと思うんだ。で、『魔都』を作って、なりきった状態で(『魔都』を含め)6枚アルバムを出すと、僕が描いた“アーティスト・s-ken”の気分が、日常的にもだんだんと宿ってくるというか。自分がそうなりたいと思っていた人間に自然になっていった感じ。コルトレーンも同じようなことを言ってるよね。

──そうして今回も、作りながらs-kenというキャラクターにどんどん入っていった。

そうそう。だから、曲作りにはすっと入れましたよ。

──作るにあたって、先に旅立たれたひとたちへの思いを歌おうというのも、動機のひとつとしてあったんですか?

いや、たまたま「千の目、友にはふさわしき贈り物を」って曲は、そういう発想がそのとき急に芽生えたのでああいう歌になったんだけど、全体的にはあんまりそれは意識してない。あの曲はスポークン・ワードなのでそういうことを歌えたんだけど、じっくりアルバムを聴いてくれたひとにはけっこうインパクトがあるみたいね。

──すごくあります。僕はとりわけ好きな1曲なんですよ。

友達の歌ってことになると、ああいう手法をとらないと、なかなか難しいんですよ。具体性が出なくなるからね。だからおもいきってスポークン・ワードでやってみたんだけど、歌詞の分量が多いのでプリプロもたいへんだった。あの曲はヒップホップのひとにも聴いてもらいたいね。

──アルバムのサウンドのイメージは1曲1曲、詞曲を作りながら浮かんでいったんですか?

いろいろだね。例えば「千の目、友にはふさわしき贈り物を」みたいなものは、やっぱりトラックを意識しないと作れないんですよ。だから初めからアレンジを頭に浮かべて作ってたけど、「鮮やかなフィナーレ」なんかは何も考えずに作って、あとでアレンジを考えた。「嵐のなか船は出る」は、ボブ・ディランの曲のなかにあれと同じコードの曲があって、ディランはそのアコースティック・ギター・ワークをウディ・ガスリーから学んだんだと思うんだけど、バラッドっていって語り物のスタイルなんだよ。10番まであったり20番まであったりするようなものなんだけど。そのコードカッティングをなんとか自分のグルーブのなかに引き込めないかと思って、セカンドラインのリズムと混合させたらどうかなと打ち込んでみたら、うまくいったの。

──歌詞にある物語性がその手法やリズムを引き込んだってことなんでしょうね。

その瞬間のことはよく覚えてないけど、同時に思い浮かんだんだと思う。あの曲は少年と老人の物語でね。ヘミングウェイを始め、老人が少年に何かを託すっていう物語が古今東西いろいろあるけど、それを僕なりにやってみた。今の若いひとたち……僕の孫にあたるくらいのひとたちが、あまりにも元気ないからさ。オレはオマエを一瞬守ることはできるかもしれないけど、オマエが本当に自覚を持って生きていくならば、思いきって飛び出していくしかないんだよ、っていう歌だね。

──「HEY! TAXI! AMIGO!」はブーガルーですよね。s-kenさんは以前にもジョー・バターンのカヴァーでブーガルーの曲をアルバムに入れてましたが(『JUNGLE・DA』収録の「サブウェイ・ジョー」)、「HEY! TAXI! AMIGO!」は2010年代なりのブーガルーと言える曲で。

そこは本当に意識して作りました。僕は1973年くらいにブーガルー的な世界観をもったサルサのアーティスト、ウィリー・コローンを好きになって、(イラストレーターの)河村要助にレコードを貸したら彼も夢中になって、それから彼はサルサとかラテン音楽のオーソリティーになっちゃうんだけど、僕がニューヨークに行った1976年頃にはもう、サルサからブーガルー的なストリート感覚がなくなっていたんだ。どんどんトラッド回帰みたいな方向に行っちゃってた。だけど自分にとっては、ブーガルー的な音楽って、永遠にエポックなのね。だから21世紀にそれを復活させたらどうだろうって思って。21世紀的な発想でブーガルーをやってみたってこと。で、そのとき思い浮かんだのがエディ・パルミエリと、その兄貴のチャーリー・パルミエリなんだけど、深く聴くと彼らのサウンドからはブルックリンの街の気配みたいなものがすごく感じられる。だからエディ・パルミエリとチャーリー・パルミエリが今ブーガルーを作ったらどんなものになるのかっていうのをイメージしながら、「HEY! TAXI! AMIGO!」を作ったんです。「サブウェイ・ジョー」は地下鉄がテーマだったけど、この曲はクレイジーなドライバーの話で(笑)。

──なるほど(笑)。

この前ニューヨークに行ってきて、タクシーにも何度か乗ったんだけど、運転手さんのほとんどはカリビアンだったりアフリカ系だったりでね。「HEY! TAXI! AMIGO!」はだから、今のニューヨークのイメージに近いと思った。リアルタイムな感じ。ノスタルジーじゃなくてね。

──懐かしいというより、新しい。

うん。60年代の世界観を今の感性で表現してみたんだ。

──でもs-kenさんの今までの作品、どれもそうですよね。リズムを借りてくるのではなく、自分流に咀嚼してその時々のストリートの雰囲気を感じさせるというか。

ある様式そのものをやろうとは思わないからね。例えばボブ・マーリィは大好きだけど、同じことはやらないし、できない。だけどボブ・マーリィの気分や彼が指差していた本質は捉えている。そういうことだよね。

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