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大澤誉志幸 35th Anniversary Special Interview

大澤誉志幸

35th Anniversary Special Interview

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ロック・バンド、クラウディ・スカイのヴォーカル/ギターとしてメジャー・デビューしてから昨年で35周年を迎えた大澤誉志幸。今年は2月から3月にかけて、初期に発表した4枚のアルバムを(1枚を1ステージで)バンドで再現するライヴを東名阪で行い、パフォーマーとソングライター──彼のキャリアの両面にクローズアップした35周年記念盤『大澤誉志幸 Song Book』をリリース。さらにはエピック時代に残していた映像作品を集めたDVD-BOXが出たり、4月のアニヴァーサリー・ライヴを終えてからは、5月から7月にかけて小編成での〈サスライ・ツアー〉を敢行……と、6月からソロ・デビュー35年目に突入する“ソウルマン”は、とんでもなく元気だ。そんななかで伺った今回のインタビュー。まさに“青春”だった訊き手が完全にファン目線になる瞬間も多々ありつつ、記念盤のことから昔ばなしまでいろいろとお話を聞かせていただきました!

──デビュー35周年記念盤ということで、『大澤誉志幸 Song Book』がリリースされました。

そうですね、今回は“シンガー・大澤誉志幸”と“作家・大澤誉志幸”の部分にスポットを当てて、それぞれ〈Disc-1〉〈Disc-2〉に分けて……まあ、2枚組になっていると。

30周年記念盤『水月鏡花』

──30周年記念盤だった『水月鏡花』もセルフ・カヴァー・アルバムでしたが、今回は、2枚組のうちの1枚に、提供したアーティストの歌唱による音源が入っています。

許諾はいろいろたいへんだったと思います(笑)。許諾ありきのところで選んでいるので、下りなかった曲もありましたけど、これは入れたいなと思ってた楽曲はほぼ入ったんで、問題はなかったですね。

──何年か前に大澤さんのライヴを観に行ったとき、吉川晃司さんがヒットさせた「LA VIE EN ROSE」のセルフ・カヴァーを歌われていて、「ずいぶんと良い曲を他人にあげちゃったな」みたいなことをMCで語られていましたよね。リリースからほどなくしてセルフ・カヴァーされていたり(※)、その後も何度かレコーディングされている「ラ・ヴィアンローズ」はとくにでしょうけど、よそのアーティストの曲になってしまっても愛着のあるものは多そうですね。
※大澤による「ラ・ヴィアンローズ」のセルフ・カヴァーは、85年のツアー〈ARABLE II〉で確認できる。先頃まとめられたDVD-BOX『VISUAL ARABLE』に収録

そうですね。ほかにも……たとえば、ビートたけしさんに書いた「ハード・レインで愛はズブヌレ」とかね。これは依頼されて書いた楽曲ではなかったんですよ。

──ほお。

作曲を依頼されたのは、「BIGな気分で唄わせろ」っていうシングルのA面だったんですけど、その録音をしている最中に、ちょっとイイ曲が出来上がって。詞も自分で書いて出来上がっちゃったから、ついでに録音したんです。そしたら「これはイイ曲なんじゃない!」っていうんで、急遽B面のほうに入れたと。まあ、たけしさんに合ってるかなと思って、良かったら使ってくださいってプレゼンみたいな形で作った曲だったんですけど、このあとのたけしさんのバラード・タイプの曲がこういうタイプになっていくという、その最初の作品になりましたね。

──大澤さんが作家として他のアーティストに曲を書くようになったのは、ソロ・デビュー前からでしたよね。

そうです。クラウディ・スカイが終わって、ちょうどまあ、浪人生というか、ソロでもう一回デビューしたいと思ってたんで、そのあいだの約2年弱、1年半強の時期に、ソロのための楽曲を作り貯めていて、それがアルバム3枚分ぐらい……その頃に、中森明菜ちゃんの「1/2の神話」とか沢田研二さんの「おまえにチェックイン」「晴れのちBLUE BOY」なんかを提供してて。とにかく楽曲をいっぱい作っていた期間。

──ものすごい、生産量ですね。

そうですね、そのときは……他にやることがなかったんで(笑)。まあ、CMの楽曲を頼まれて書いたり、コーラスの仕事で呼ばれていったりとか、それも全部伝手みたいな感じで知り合った人が「ちょっとおもしろい奴がいるから」って紹介してくれて、噂でいろいろ仕事をいただいてた時期でした。

──「1/2の神話」や「おまえにチェックイン」もその流れで発注をもらって?

いやいや、僕もまだ新人だったんで、明菜ちゃんはコンペだったと思います。沢田さんは、ディレクターをやっていたのが木崎(賢治)さんっていう、クラウディ・スカイのときのディレクターでしたので、「ちょっと書いてみない?」って言われて書いて。「おまえにチェックイン」は沢田さんにも気に入ってもらえましたし、おもしろいっていうんで「晴れのちBLUE BOY」も書かせてもらったっていう。

──おもしろいといえば、今回の『大澤誉志幸 Song Book』をきっかけに、ここに収録されていない“提供曲”も改めて探ってみたんですが、まあ、アイドルにも結構書かれていて、そのなかでもおもしろいなあと思ったのが、新田純一「ハニー ハニー Sunshine Girl」(82年)でした。当時の男子アイドル特有のやんちゃ可愛いヴォーカルなんですけど、うしろのベースラインが無駄にうねっていたり、結構ファンキーで(笑)。

あれは、アレンジが岡田徹さん(ムーンライダーズ)でね、ヘンテコリンな音をいっぱい入れてましたね。ムーンライダーズでは、白井良明さんにもいろいろアレンジしてもらった曲があって。おもしろい音が出始めた頃というか、80年代の初頭は新しいテクノロジーがどんどん生まれていった時期なので、アナログからデジタルに移行していく狭間でもあったし、ヘンテコリンでおもしろいものもいっぱい出てましたよね。

──作家としての大澤さんは幅広いジャンルで活躍されてたので、そちらで名前を知った人も多いでしょうね。逆に、ソロ・アーティストとしてしっかり名前が知られるようになって以降は、大澤さんが曲を書いてるならと、アイドルだったりちょっと離れたジャンルのアーティストに興味を持ったりした人もいたはずで。

そうですね、作家から僕の名前を知った人は多かったみたいですね。ソロになってからもずっと並行して書いてたんで。

──ご自身の楽曲制作と並行して楽曲提供……それも結構な数でしたよね。

よく働いてました(笑)。80年代〜90年代中盤ぐらいまでは、めちゃくちゃいっぱい曲を作って、ライヴして、プロモーションしてっていう、そういうことをずっとやってましたね。

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