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1×1の神秘?

3月21日に開催されるイヴェント『ボイコット・リズム・マシン・ヴァーサス・ライブ 2012』。活躍するフィールドの異なる2組のアーティストが、一切の打ち合わせなしでセッションするという試みである。音楽家のセンスとテクニック、そして心意気が真っ向からぶつかり合う、一夜限りのプレミアムなライヴ。会場は後楽園ホール。言わずと知れた格闘技の聖地である。音楽という平和的な手段による戦いを、耳と目で堪能してほしい。 そこで、このプレイリストは、このイヴェントの開催を勝手に記念して、二人のミュージシャンが対峙して作り上げた作品を紹介したい。取り上げた基準は、二人の名前が同列で並ぶものであること、あくまで二人が奏でる音色だけが収録されていること(たとえば、スタン・ゲッツ&ジョアン・ジルベルト『ゲッツ/ジルベルト』は、二人の名義だが、他にヴォーカルやリズム隊がはいるので除外、というふうに)、音源として比較的手に入やすそうなもの、である。たった二人で創出する世界。そこに音楽の根源や深淵を覗き見る。それは1×1だからもたらされる神秘ともいえるかもしれない。では、以下。並びは、一般的にとっつきにくいと思われるもの順!

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  1. ロブ・ノール
    高橋悠治+佐藤允彦

    現代音楽のピアニスト、作曲家、高橋悠治と、ジャズピアニストである佐藤允彦のセッション。1曲目は2台のスタインウェイによる演奏(LPのA面はこの1曲のみ)。そして驚くべきはB面だ。「タクラマカン」では高橋は、プリペアドピアノに加えてEMS社のシンセサイザーSynthi AKSを、佐藤はフェンダー・ローズを使用。「ロブ・ノール」では、高橋はSynthi AKS、佐藤はミニムーグを操っている。録音は74年7月。つまりこれは、日本おける、電子楽器を使った即興演奏の最初期の記録としても非常に貴重なものなのだ。そのサウンドは、何億光年も離れたふたつの惑星間の交信記録のようでもあり、密室内で二人のマッドサイエンティストが未知なる生命を作り出そうとしているようでもある。

  2. Deicomahlee Ah
    Jackie McLean & Michael Carvin

    アルトサックス奏者のジャッキー・マクリーンと、ドラマーのマイケル・カーヴィン。マクリーンはアルトの他、パーカッション、ピアノも演奏。カーヴィンもドラムはもちろん、カリンバやフルートまで持ち出す。まるで、スタジオに転がっていた楽器を手当り次第に拾い上げて奏でているかのような、無邪気さに満ちている。なかでも二人がタイトルを連呼するこの曲は、呪術的で、時にどこかユーモラス。余談ながら、その雄叫びは、インドのスポーツ、カバディ(オフェンスのひとりが「カバディ、カバディ、カバディ」と叫びながらディフェンスを追う)のそれと酷似する。また、3分過ぎあたりで現れるブレイクや、後半のスキャットの応酬にもいつもニンマリさせられる。『高橋悠治+佐藤允彦』と同じ、74年の録音。

  3. Ohho
    Andrew Hill & Chico Hamilton

    ピアノのアンドリュー・ヒルとドラムスのチコ・ハミルトンという、ともにジャズ界において独特のスタンスで活躍した二人。これは93年に録音されながらもお蔵入り。07年に亡くなったヒルを忍んで、翌年にリリースされたものだ。ちなみにハミルトンは91歳になる現在でも精力的に活動中、昨年『Revelation』を発売している。ピアノの美しいメロディーとハーモニーに、とんでもない変則的変態的ドラミングをかぶせてくる。互いにまったく合わせようとしない。自分の演奏を他人に譲り渡さない、引っ張られない。それに腐心しているようで、なにやら微笑ましい。お互い耳栓をしながら向き合っているかのようだ。

  4. スポージン
    ジャック・マーシャル&シェリー・マン

    主にスタジオで活躍したギタリスト、ジャック・マーシャル(キャピタルレコードのA&Rでもあった)と、西海岸のトップドラマー、シェリー・マンが65年に残したアルバム。ヒップなジャケのおかげでその存在は知っていたのだが、アナログ盤はレア。しかし、一昨年EMIの「JAZZ名盤BEST&MORE」シリーズで国内初CD化、999円で手に入れることができた。このアルバムは全編をとおして、アコースティックギターとドラムス、パーカッションとの調和を目指したものだ。「S'posin'」では、マイルドなトーンのギターに、マンのシンバルやタム、そしてヴォイスパーカッションやブレス(ため息?)が絡む。並のイージーリスニングジャズとは一線を画す緊張感がある。

  5. EXTINGUISH MY EYES,I'LL GO ON SEEING YOU
    ブラッド・メルドー&ルネ・フレミング

    クラシック畑のソプラノ歌手ルネ・フレミングと、ジャズピアニスト、ブラッド・メルドウの06年の録音。オーストリアのリルケや、アメリカのボーガンといった詩人の作品にメルドウが曲を付し、フレミングが歌うというもの。フレミングの歌唱はクラシックスタイルそのもの。それとアブストラクトなピアノがコントラストを成している。コアなクラシックファン、ジャズファンには、どっちつかずで戸惑いを与えること必至。だが、僕にとっては、一流の二人による、既存概念に対するこうした揺さぶりがなんとも心地よいのだ。

  6. Bye Bye Blackbird
    Emiko × スガダイロー

    ブラジル音楽デュオのヴォーカリストEmikoが、フリージャズピアニスト、スガダイローとタッグを組みスタンダード曲を取り上げる(07年発売)。極めてナチュラルで、朗らかなヴォーカルに、スガの凶暴なピアノがいかにして襲いかかるか…と、蛇に睨まれた蛙を眺めるようなつもりでいたのだが、さにあらず。非常に居心地の良いサウンドに仕上がっているから面白いのだ。良い意味で期待を裏切ってくれる。スガのピアノは、確かにスタンダードな伴奏ではない。フレーズやハーモニー、タイム感などをずらし、独特の風合いを醸しているのだ。しかし、それがフリーになり過ぎず、フツーになり過ぎずの案配。なんと引き出しの多いピアニストなんだろう、と感嘆することうけあいだ。

  7. A Mi Niño José
    Michel Camilo & Tomatito

    00年のメガヒットアルバム。ドミニカ共和国出身のジャズピアニスト、ミシェル・カミロとフラメンコ・ギタリスト、トマティートの競演盤。この二人、昨年秋にブルーノート東京にやってきて、僕もそのステージを堪能したのだった。と同時に、ピアノとギター、音の特性の違う2台の楽器を同一ステージで鳴らすことの音響的な難しさも感じたのだった。閑話休題。このアルバムからはタイトル曲ではなく敢えてこれを。アルバム収録曲中、最もインプロヴィゼーション色が強いからだ。現れては消え、消えては現れるピアノやギターの光沢ある高域にそれぞれの楽器の特長が良く現れている。

  8. ラッシュ・ライフ
    ホセ・ジェイムズ&ジェフ・ニーヴ

    先日のビルボードライブ東京での公演でも、若々しさと落ち着き加減が同居したステージを披露したヴォーカリスト、ホセ・ジェイムズ。彼がベルギーのピアニスト、ジェフ・ニーヴとたった1日で録り終えたスタンダード集(10年発売)。この曲はホセが尊敬してやまないジョン・コルトレーンの名演でも知られている。やや硬質で、ニュアンスに富んだピアノ、メロディーを大切に、丁寧に紡いでゆくヴォーカル。二人のスタンダード、いや、ジャズそのものに対する畏敬の念が伝わるようだ。心の内側に、優しげな光が灯るような感覚。冬の空気とよく似合う。

  9. 家路
    チャーリー・ヘイデン&ハンク・ジョーンズ

    作家の吉行淳之介は対談の名手なんて言われたが、ジャズ界でデュオの名手といえば、ベーシストのチャーリー・ヘイデンだ。キース・ジャレットやパット・メセニーとのデュオアルバムが良く知られている。本作の相手は、昨年惜しくも鬼籍に入ったピアニストハンク・ジョーンズ。ジョーンズとは95年に『Steal Away』という黒人霊歌や賛美歌などを収録したアルバムを製作している。これはその第2弾で、ジョーンズが没するたった3カ月前の録音。落ち着いたトーンで統一されているものの、演奏内容は決して薄味ではない。百戦錬磨のジャズメンが、楽器と共演者と向き合うとき、そこに濃密な音の渦が発生する。放たれる音は溶け合い、純なるひとつの音楽として立ち上がる。

  10. スパルタカス 愛のテーマ
    ビル・エヴァンス

    最後は番外ということで。ジャズピアニスト、ビル・エヴァンスのデュオ盤といえば、ギターのジム・ホールとのデュオ盤『Undercurrent』を挙げるべきであろう。ただ、僕はエヴァンスの音楽に触れるたびに、どこか冷徹な狂気を感じるのだ。ただ美しい景色を見ながら、自ら孤独の沼に足を浸してゆくような危うさが常に漂っている。それを最も感じさせるのがこのアルバムだ。邦題『自己との対話』。ピアノを用いた多重(3重)録音である。自身の弾いたものを録音し、それを聴きながら演奏を重ねてゆくのだ。このプレイリストではアヴァンギャルドなものも含めデュオ作を紹介した。こうして振り返ってみると、いくら前衛的と言われようが、他人と対峙して音楽を作ることは、極めて健全なことのような気がしてならない。エヴァンスのこの試みは、まるで鏡に向かってじゃんけんを繰り返しているようなものだ。つまり永遠に勝負はつかないのである。そして、63年の時点でこの手法を発想し、ジャズとして成立させたことは、恐ろしく頽廃的なことのようにも思えるのだ。