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特集 音楽と土地 第1回: 渡辺祐
■ナビゲーター:大野ケイスケ ■デザイン:SQIP Inc. 掲載日:2007.10.19
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第1回ゲスト 渡辺 祐 (TASK WATANABE)
渡辺祐
渡辺祐氏の全貌を知ろうとするには、かなりの時間を要する。この世界はどこかしら渡辺祐に通ずるといっても過言ではない。R&Bの音楽コラムを中心に各誌で執筆し、ラジオナビゲーターとしても知られ、「タモリ倶楽部」でもたまに見かける。本職は編集者である。福山雅治に鈴木雅之にワハハ本舗にと手がける案件は数知れず。そしてなんといっても雑誌「宝島」(*サブカル路線だった頃の)で一世を風靡したVOWを構築した張本人である。僕が初めて渡辺祐仕事に触れたのもVOWだ。投稿された街の変なものの写真の横に数行のキャプション。たった数行と言うなかれ、そこには変なものをさらに味わい深く笑わせる独特の文体があった。僕は今でも読み返すことがあるほどだ。そんな祐さんと初めて仕事をしたのは、日本テレビの「マスクマン」という深夜番組だった。その時の祐さんは僕と同じ構成作家だった。もう何だかわからない。世界は確実に渡辺祐に通じている。そんな渡辺祐氏の「音楽と土地」。

渡辺祐、初めての音楽仕事。
--祐さんの人生最初の音楽仕事は何だったんですか?
 高校3年のときですね。藤沢のジャズ喫茶でアルバム2000枚のお客さん用リストをアルファベット順にルーズリーフで作ったことかな(笑)。

--それってまさに編集ですね。大学時代はボーヤもやられてたんですよね?
 大学時代はRCサクセションのバックも務めていた梅津和時さんの生活向上委員会というフリージャズバンドで、正確に言うとマネージャーのアシスタントをやってました。ボーヤになるにも楽器がわかんないから、マネージャーのパシリを始めたという感じ。それを2年ぐらいやって、次にファンクラブの会報誌を作ってました。

--やっぱり編集なんですね…。それから雑誌の「宝島」に携わることになるんですか?
 そうです。当時の「宝島」のメインはロック、ファンク、ニューウェーブ、RCとかサザンとかYMOとかも扱ってましたね。そこにプラスしてレゲエとかR&Bとかが入ってきた感じでした。

渡辺祐の「音楽と土地」~神奈川県相模原市
--祐さんが洋楽と出会ったのは…?
 FENからです。生まれ育った神奈川県相模原市はFENがすごくよく入るんです。時代的にビートルズが終わってるくらいから音楽というものを意識的に聴くようになって、とにかく全米トップ40のアタマから聴いていて…黒人音楽だろうが白人音楽だろうがカントリーだろうが関係ないチャートだから、ジャンルを分けずに聴いてた。自然とオールジャンル聴いてたわけです。だからレイ・チャールズはジャケット見るまで黒人だって知らなかった(笑)。決定的にブラック・ミュージックを意識したのは、『アメリカングラフティ』のサントラ。そこで初めて見て「ああ、そうだったのか…」って(笑)。もちろんビートルズの青盤赤盤も聴いていたけど、そのなかでは初期の曲が好きだなって思っていて、当然ビートルズの曲だろうと思ってたんだけど、クレジット見ると「レノンマッカトニー」じゃなくて「S・ロビンソン」と書いてある。「あれ?」って中学生の後半で気づくわけです。「これ誰だろう?」「あ。これはスモーキー・ロビンソンなのか…」って。ということは「俺の好きなビートルズの曲は全部そっちか」って(笑)。

神奈川県相模原市。そこは身近に米軍基地がある土地。横浜、横須賀、そして福生などと並ぶ「国道16号文化」。
--当時の相模原はどんな感じだったんですか?
 小さい頃はまだベトナム戦争やってたから、街に緊張感が漂ってた。でも無修正のプレイボーイとかあってさ、基地内のゴミ箱に(笑)。友達のお父さんが持って帰って息子にバレたなんてハナシもあった(笑)。横須賀や横浜に戦艦が停泊すると米兵の人たちがアナログを持ってきちゃうから、まさに正真正銘の直輸入盤を見る機会は多かったですね。米兵の人たちがキャンプの外で飲みに行く場所が点在していて、高校の頃から出入りしてましたね。白人の方で農家の次男坊っぽい感じの人たちは、AC/DCとかをガンガンかけて、ダサいネルシャツでビール一本500円くらいで一晩盛り上がれる店にいて、黒人の方はいわゆるディスコに集っていた。そこで初めてDJを見た。12インチも初めて見た。「LPなのに一曲しか入ってないぞ…」って(笑)。正確に言うと大和市ですね。そんな感じでそれぞれ棲み分けができていて、瀬谷の通信基地の人たちに限ってはジャズがかかる店。なぜなら大卒だから。みんなアタマいいわけ。それに影響受けて高校生の時はちょっと背伸びしてブルースとかジャズばかり聴いてましたね。

--すでに中高生でR&Bの世界を専攻していたんですね。
 中高時代は基本ラジオと少ないお小遣いでレコード買って聴いていた程度。本格的にR&Bを聴くようになったのは、酒を飲むようになってから。それからは家のステレオで聴いたことがない。ほぼ飲み屋で聴いてるんです。大学生になって友達とディスコにも行ってたけど、一人でソウルバーに行くようになったんです。

--時代的にいうと…?
 78年~81年くらいです。当時はディスコがニューウェイブ化してくる頃ですけど、それでもアース・ウィンド&ファイアとか定番のR&Bはサーファーディスコでかかってた。79年に「サタデーナイト・フィーバー」が上陸して、大学生にはちょっとチャラいソウルが全盛だった。僕よりもうちょっと上の世代…バブルガムブラザースとか鈴木雅之さんはかなりディープなソウルを聴いている。その世代に刺激されて僕もディープなものを求めてソウルバーに行くようになった。だってビージーズは黒人音楽ではないしね(笑)。

--大学に入って、さらにR&Bの世界を突き進んでいくわけですね?
 酒を飲み始めて、外に遊びに行くようになって、若気のいたりがあって、童貞じゃなくなって、童貞の頃の妄想を膨らませてみうらさんみたいな結果になった人もいるけど(笑)、僕の場合は非童貞になってソウルを知ったときから、こんなにも楽しい世界があるんだって思ったわけです。基本的にソウル、R&Bというのは、カーティス(メイフィールド)とかマーヴィン(ゲイ)にようなメッセージソングもあるけど、基本はラブソング。しかも「おまえのこと好きだから、今夜なんとかならないか?」そんなことを延々と言ってる曲ばっかり(笑)。それはステレオの前で一言一句歌詞を見ながら聴く音楽じゃない(笑)。それが大前提。辞書とかひいたりするのもなし(笑)。要は場の音楽なんです。とある場所に自然と流れて成立する音楽。カーラジオから流れてきたり、バーのBGMだったり。場があって空気があって、そこをさらにセクシーにするエッセンスがある。大人の階段を上り始めた時にちょうどソウルやR&Bがあったというわけです。

--ジャズにも傾倒していったんですか?
 ジャズを好きになったのは、ジャケットのモノクロの雰囲気です。そこに強く惹かれた。当時は新宿に行けばジャズ喫茶がたくさんあったし、ラジオでもナベサダ(渡辺貞夫)とか虫明亜呂無さんが喋ってた。時代的にも自然と入っていったんです。でもジャズは大人っぽいっていうイメージがあるけど、演奏してるマイルスは25歳だったりするしね。イメージだけでどんどん大人っぽくしちゃったんだよ。今でもジャズの流れる居酒屋とかあるじゃん、焼肉屋とかもあるし(笑)。狙ってジャズがかかってるんだけど、僕らはこれは誰々だって思うわけじゃん。だから「この人、翌年死んじゃうんだよなあ…」とか「もうヘロイン中毒になってた時期だよなあ…」とか、そんなことばかり思うわけです(笑)。だけど実際は店では誰も聴いてない。誰にも伝わってない(笑)。誰が演奏してるって概念がない音楽になってる。それがね残念ですね。
渡辺祐's PLAYLIST: ホテルで聴きたいソウル、R&B
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渡辺祐 プロフィール
渡辺祐
渡辺祐 (TASK WATANABE)

1959年神奈川県出身。
80年代に雑誌「宝島」編集部を経て独立。エディター/ライターとして編集プロダクション「ドゥ・ザ・モンキー」を主宰。2000年からは東京のFM局・J-WAVEで番組ナヴィゲーターも務めている。時々TV「タモリ倶楽部」にも出演。

【ラジオ】
J-WAVE(81.3FM)「RADIO DONUTS」(毎週土曜8:00~12:00)
http://www.j-wave.co.jp/
original/radiodonuts/


【雑誌連載】
週刊朝日「ミュージック・サプリメント」
Style「25歳からのJ-POP入門」
Black Music Review「20世紀FUNKY世界遺産」

【個人blog】
http://d.hatena.ne.jp/dothemonkey/
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